『GLAMPiC』 CAFÉ&BAR×GLAMPING代表
長濱 温子さん
チャレンジ分野:

プロフィール

東京都出身。大学を卒業後に就職し、2年間務めた後2017年山形県へ。

旅行が趣味で、大学時代から現在まで海外を15ヶ国、国内は35都道府県を踏破する。

チャレンジのきっかけ

 東京都で生まれ育った長濱温子さんは、パートナーが寒河江市の「地域おこし協力隊」として転職したことをきっかけに、2017年2月に山形県へ移住。
 旅行好きで、旅先ではよくゲストハウスを利用していたことから、自然豊かな山形で楽しい交流の場所であるゲストハウスを運営したいと思い、すぐに空き家を探し始めた。
 空き家探しは思いのほか難航した。こちらの条件は「改修しても良い」こと。しかし、その条件に合うような空き家がなかなか見つからなかった。何件も探してやっと出会えたのが、道路に面した小屋と裏山がセットになった山形市新山の今の場所だった。
 自然がすぐそばにあり、とても気に入った物件ですぐ契約したが、調べてみると建築基準法でゲストハウスの要件に満たないことがわかった。この小屋と裏山で何ができるだろうと考え、思いついたのが、小屋でカフェをしながら、裏山の自然を使ってグランピングをすることだった。
 グランピングとは「グラマラス(魅惑的な)なキャンピング」から生まれた造語で、ホテル感覚で自然を満喫するキャンプができるサービスのこと。ここから、長濱さんのグランピング計画が始まった。

チャレンジの道のり

 2017年6月、カフェとグランピング作りに着工。DIYイベントを行い、そこで協力者を募るなどの工夫をしながら仲間を増やしていった。父が建築士だった影響で工具には馴染みがあり、また幸いにもパートナーは内装関係の職についていた経験があったため、改修は、予算と相談しながら考え自分たちで行った。DIYイベントに参加してくれた人から、徐々にこの場所のことが広まっていった。
 
 ※DIY(ディー・アイ・ワイ)とは、しろうと(専門業者でない人)が、何かを自分で作ったり修繕したりするこ と。英語のDo It Yourself(ドゥ イット ユアセルフ)の略語

カフェの中。一枚一枚壁に貼られた木の板など、内装は長濱さんが主に作っている。
カフェを作るDIYイベント

 

カフェとグランピングを作り始めながらも、やはり心残りは「ゲストハウスをしたい」という最初の願い。そう簡単には諦められず、いろいろ調べてみると、裏山に建っていた小屋が、簡易宿所として使えることがわかった。
 そこで、カフェとグランピング作りにゲストハウス作りも加え、平日はすべてDIY作業に充てるようになった。約4カ月の工事を経て、一足先にカフェ「GLAMPiC(グランピック)」が完成し2017年10月にオープン。翌年の9月にはグランピングもオープンし、12月には念願のゲストハウスも始めることができた。
 ゲストハウスには、海外を始め多くの方が訪れるようになった。もともと人と関わることが好きなのと、趣味の旅行で海外にも行っていたので、海外から来た人とも楽しく接した。様々な国の人と話をして親しくなり、『私の国に来たら連絡してね』と言われることも多かった。

ゲストハウスは落ち着いた空間

現在の活動内容

 現在は3つの施設運営のほかに、DIYで作り上げた技術と経験を生かした事業も行っている。それが「SELF BUiLDERS JAPAN」と「DIY STUDIO」だ。
 「SELF BUiLDERS JAPAN」は小さな内装屋。一人用のテーブルから、大きいものでは家を一棟DIYすることもあるという。「DIY STUDIO」は貸し作業場として提供しており、利用者は各々好きなものを作っている。

 新しい事業も計画中だ。副業や、何かを始めたいという意欲のある若者をターゲットに、軽自動車をキッチンカーにDIYしてレンタルできるようにする事業と、山形大学の近くでシェアハウスをする事業の2つを企画している。どちらもすでに準備を始めており、キッチンカーを現在製作中だ。
 キッチンカーは、土日に副業をしたい方が気軽にレンタルできるようにと考えた。ゆくゆくは販売までもっていきたいと考えている。シェアハウスは、意欲のある若者が集まって、話し合いができる場。事業の幅が広がってきたので、DIY系の仕事や新しいことは、ゲストハウスやグランピングの予約のない日や、営業時間の合間にこなしている。

今後の目標・メッセージ

 主にパートナーと2人で運営している長濱さん。カフェはできるだけアルバイトに任せるようにしているが、それでも混雑した日や、アルバイトが出られない日は長濱さんが前に立つ。人に任せることも考えたが、なかなかそれも難しいのだという。

  「アルバイトから店長になろうという人はあまりいないみたい。だから、今後の目標は自分が主軸にならないように運営していくことです。私が主軸でなく、誰かに店長という形でも任せることができれば、新しい事業をする時間が取れます。2年目になって見えてきた課題ですね。」

(令和元年9月取材)