ナリワイALLIANCE代表
菅原 明香さん
チャレンジ分野:

プロフィール

高校卒業までを地元鶴岡で過ごし、その後アメリカの大学へ進学。

2006年に卒業し帰国すると、地元でデザイン関係の仕事に就いた。29歳で結婚し、夫の地元三川町へ。
2013年に長女を出産した。

2016年に “鶴岡ナリワイプロジェクト”主催の起業講座に参加。「あかるさかおる」の屋号で仕事を始める。
翌年には、“ナリワイALLIANCE”を発足した。

チャレンジのきっかけ

 ジャーナリストを目指していた菅原さんは、高校卒業後アメリカの大学に進学。しかし、学んでいくうちに「感情に左右されやすい自分はジャーナリストに向かない」と感じ、思い切ってデザインを学ぶ学科へと方向転換した。
 「アメリカの大学で得たものは、知識もそうですが一番は“度胸”ですね。自分の作品をプレゼンテーションして合格しなければ単位がもらえないんです。英語でどう表現・主張するか、悩みながらひとつずつ乗り越えていきました」。
 卒業後は地元へ戻り、知人の紹介でデザインの仕事をする傍ら洋服屋のパート、養護学校の寄宿舎指導員などに従事した。結婚後、夫の地元である三川町へ居を移すと、町の子ども達への英語指導に関わることになった。幼稚園、小学校、中学校をすべて回って英語を教えるこの仕事に菅原さんはやりがいを感じていたが、妊娠のために退職せざるを得なかったという。
 長女を出産し、一年が過ぎた頃から、仕事を探し始めた。しかし、なかなか希望の仕事が見つからない。「もう自分で起業したほうがよいのでは……」。そんなことを考えていた時、たまたま目に入ったのが“鶴岡ナリワイプロジェクト”だった。
 「自分の能力を生かしてはたらく道を探しているうちに、見つけたという感じでした」。

 一人一人が「好き」「得意」を生かして起業し、フリーランスでできることを仕事にしていく“ナリワイ”という働き方を知り、菅原さんは「できる」という手ごたえを感じたという。

チャレンジの道のり

 “鶴岡ナリワイプロジェクト”が開催した起業講座では、女性の参加者が多く、気兼ねなく話をすることができた。それぞれがやりたいことについて語り、みんなで考える。誰も否定せず、やりたいことを応援してくれるその空間は、自分を前向きにしてくれた。それは、自分が自分に課している「嫁」や「母」という枠(固定観念)を一つ一つ外して、本当の自分を取り戻せる場所だった。

 「女性が何か一歩踏み出す時って、こういう話す場所が必要だと思うんです」。
 ここで出会った仲間は、今では気の置けない友人となったという。

  “ナリワイ起業講座”を卒業した菅原さんは、「あかるさかおる」の屋号で個人事業をスタート。アーティストとして、イラストを使ってのワークショップを病院で開催したり、チラシなどの制作を請け負ったりと、幅広く活動した。また、英語を生かした講座「バイリンガル育児」(日常的に英語と日本語を用いた育児)の開催は、現在も月1回のペースで実施している。

イラストを使ったワークショップを行う菅原さん

現在の活動内容

 “ナリワイ講座”の卒業生で作るOB会が、“ナリワイALLIANCE”だ。菅原さんは設立から現在まで、この会の代表を務めている。卒業生のうち希望者で構成され、同期だけにとどまらず、さまざまな人と知り合えるネットワークを作っている。
  活動内容は、月1回の「ナリワイcafe」と不定期に開催されるイベント。「ナリワイcafe」では一般の参加者を募り、メンバーがプレゼンをしたりワークショップをしたりと、やりたいことをする。特に庄内弁をかるたで学ぶ講座はとても好評だったという。今冬にはトークイベントも開催予定だ。

 「それぞれが自分のナリワイをしているんだけど、ゆるーくつながって助け合えるんです。それに、一人でやっても広がらない広報を、これだけの人が一緒にしてくれる。ビジネスとしても、みんなが繋がれるというのは、効果が大きいのかなと思います。ナリワイは、その人その人のライフスタイルに合わせてできるので、たとえ一度離れても、またやりたいと思ったら戻ってこれる場所になっていると思います」と菅原さんは語る。

 また、地元の通訳・ガイドで構成する「鶴岡 通訳案内士の会 CHAT CHAT」にも所属し、海外からの団体客などに庄内の魅力を伝えながら通訳を行っている。

ナリワイ起業講座卒業生たちがプロデュースした珈琲店。花、看板、店内装飾、販売する菓子などをメンバーが手掛けている

今後の目標・メッセージ

 「何かを始める時って、『自分がやりたいこと』というだけでなく『人の役に立ちたい』という気持ちもあると思うんです。でも、自分が社会のどこで必要とされているかは、自分で考えているだけじゃわからないんですよね。
 でも、価値観やバックグランドが違う人と話していろいろな視点や社会のニーズを知ると、自分がどこに必要とされているかが見えてきて、『自分がやりたいことでもあって、必要とされていることでもある自分の居場所』が見つかると思うんです。
 走り始めれば、一歩進むと違う景色が見えて。また一歩進むと違う景色が見えて……。ちっちゃい一歩って大事ですね」。

 
(令和元年6月7日取材)