陶芸家
東海林 晴美さん

プロフィール

1947年 東京都目黒区生まれ

1972年 東京藝術大学美術部工芸科卒業、目黒に築窯

1983年 天童市へ転居、築窯

~2019年3月 東北芸術工科大学 陶芸科非常勤講師

         現在  東京や山形市にて定期的に作品展を開催

チャレンジのきっかけ

 白地に美しく映える青い色彩。天童市在住の陶芸家 東海林(しょうじ)晴美さんの染付の作品だ。東海林さんは1947年に東京都目黒で生まれた。幼い頃から絵を描くことが好きだったが、中学に進学してからはスポーツに熱中した。都大会でベスト4に輝くバレーボールチームの一員として、スポーツに明け暮れた青春時代を過ごした。
 高校2年生で、卒業後の進路を考えた時に転機が訪れた。通っていた高校はエスカレーター式だったため、そのまま指定された大学へ進むことも可能だったが、その大学には行きたい科がなかった。そんな折、美術大学を目指す友人に影響され、かねてから好きだった絵画の道へ進んでみたいと一念発起した。
 高校は進学コースだったため美術の授業はなく、大学受験にあたり美大を目指す予備校に進学した。朝6時からと放課後はバレーボールを練習し、夜6時から9時までは予備校で美術を学んだ。授業中はほとんど寝てしまっていたというほど、とてもハードな毎日だったが、好きだからこそ頑張ることができた。

東海林さんの作品

チャレンジの道のり

 デッサンも未経験で、まったくの初心者という状態からの大学受験は残念ながら不合格だった。しかし、めげることなく予備校で基礎を徹底的に学び、見事3度目の挑戦で名門の東京藝術大学に合格した。
 2度目の受験に失敗したときは、美大はすっぱり諦めて、もう1つの趣味でもある洋裁の道へ進もうかとも考えた。でも考えれば考えるほど「なんで私を不合格にしたんだ!!」と悔しさがこみあげ、その想いがもう1度チャレンジしようという原動力になった。また受験勉強の期間に基礎をじっくりと学ぶことができたことが今を支える力になっていることからも、意味のある道のりだったと思っている。

 東京藝術大学在学中は、教授や仲間などから様々な刺激を受け、多くのことを吸収していった。そして、大学3年生のときに現在の作品につながる出会いがあった。それは大学の図書館で見つけた古代中国・元の時代の染付の作品集で、藍青色の絵柄が施された白い器が美しかった。絵を描くことが好きで、日常的に接する器を作っていきたいという想いから、その後も多くの染付作品を作り続けることになる。
 大学卒業後の進路について、当初はデザイナーになろうと考えていたが、デザイナーは企業からの要望に合わせた仕事が中心だった。人の意見に合わせることが苦手だった東海林さんは、気の合う先輩と共同で父親が営む会社の屋上で窯を開き、陶芸教室や作品展のための作品作りで忙しい日々を送った。

東海林さんの大学時代の作品

現在の活動内容

 高度経済成長のさなか、東京は仕事も多く活気に満ちていた。半面、風景は日ごとに変わり、大気汚染など環境の変化も著しかった。もっと環境の良いところで創作活動をしたいと考え、10年の節目で窯を閉め、父の実家がある天童市への引っ越しを決めた。
 東京生まれ、東京育ちの東海林さんのことを「きっと1年も経たないうちに戻ってくるだろう」と友人たちは言っていた。しかし天童で迎えた朝の清々しい空気は格別で、いまだに東京に帰りたいと思ったことはない。

 天童市に移住してほどなく築窯した。その後妊娠、出産を経て現在に至るまで創作活動を続けている。また東北芸術工科大学にて染付の非常勤講師を24年間務めた。
 染付とは、素焼きをした器の表面に呉須(ごす)という専用の染料で絵を描き、白い釉薬をかけて焼き上げていく。ガラス質の釉薬は焼きあがると透明になるため、描かれた絵柄がきれいに浮かび上がるという手法だ。器の原料となる磁土(じど)は染付の発色が綺麗に出るという兵庫県出石(いずし)の土を使っている。呉須は特殊な染料で、塗っている時には完成形の濃淡がわからない。そのため作業を区切ることができず、大きな皿でも一気に仕上げないといけない。イメージとしては書道と似ている。
 さらに、気に入った形に器が仕上がらないと、絵を描きたいとは思えない。窯を開けてみないとわからないので、ロスも多くなる。窯から出す瞬間はギャンブルにも似ていて、ゲーム感覚でドキドキする。それがまた楽しみなのだ。いつの日かギャラリーの方から驚かれるほど多くの作品を作りたいと考えてはいるが、大量生産は難しい。

 東海林さんは、予備校時代の先生から言われた「桜を見て、その美しさに感動できる心がなければ、人の心を動かす作品は描けない。」という言葉を心に刻んでいる。その言葉の通り、あるときは食べごろを迎えるブルーベリーの実をスズメと競争しながら描いたり、夏椿が花開く早朝から筆を取るなど、四季折々に庭へ足を運び、植物がみせる美しい姿や自分自身が心動かされた瞬間を器に描いている。
 このように、こだわりを持って作品作りを進める東海林さんにはファンも多く、作品展の初日にはお気に入りの作品を目当てに多くのファンが訪れる。

磁土は陶土よりもコシが少ないので形が崩れ やすく、成形は熟練の技が必要だ。
呉須

 

ろくろで器を作り、そこへ下絵を描き釉薬をかけ、呉須で色を付けていく。
クリスマスローズの下絵と出来上がった作品

今後の目標・メッセージ

 個展は年1回のペースで開いていて、2020年は9月11~20日まで山形市の吉野画廊にて、2021年は東京で11月4~9日までの予定と、山形と東京で交互に開催していく。また山形ではまだまだ低い、工芸への関心と価値をもっと高めていきたいと考え、山形工芸の会のメンバーとしても活動している。2020年3月にはお酒とのコラボイベント、また秋には作品展も予定されている。
 母親の介護などもあり、遠方での個展はもうできないと思っていた時期もあった。しかし、次の作品を楽しみに待っていてくれる人がいる。その気持ちに応えたいと、少しずつ、できる範囲で作品作りを続けよう、と奮起した。
 一昨年から染付だけでなく、立体で模様を表現することにも挑戦している。立体はデッサン力がないとうまく表現できない高度な技法で、飽くなき挑戦は続いている。
 個展に向けて準備をすることは日々のチャレンジだが、今までで一番のチャレンジは芸大を受験したことだ。大学時代に出会った恩師や仲間が今の自分を支えていると考えている。

 「今の年齢になって、やっと自分の好き嫌いがわかってきたように思います。空想よりも現実に目を向け、畑、土、布など自然のものに触れることが心に馴染みます。日々心掛けているのは、やりたくないことはできるだけやらないこと。嫌だと思うことには関わらないようにしても、意外と生きていけるものですよ。そして五感を磨く、自分を磨くこと。日頃から自分のアンテナを磨いておくと、いろいろなことにあっと気が付けるようになりますから。」

 いつか叶えたい夢があるが、今はまだ内緒にしている。いつでもやりたいことを探していないとつまらないので、目を輝かせながら、これからも夢へのチャレンジを続けていく。

模様を立体で表現する新しい作品(右後ろ)
(令和元年12月取材)