美容師
佐藤 千草さん

プロフィール

2001年 美容室「Prism artproduce」を山形市高堂にオープン

2009年 山形市あかねヶ丘にサロンを移転

2019年 乳がんを宣告される

2020年 闘病経験を経て、がん患者を支える美容師として活動開始

チャレンジのきっかけ

 美容室「Prism artproduce」(以下、サロン)をオープンして約20年となる2019年、思いがけない出来事が起こった。乳がんの宣告を受けたのだ。2月に受けたがん検診の結果はステージ1の乳がん。それは、美容室のオーナー、子育て中の母として忙しく暮らす中での青天の霹靂だった。早期発見だったにも関わらず、辛い闘病生活を送ることとなった。乳がんはステージだけではなく、乳がんができた場所、がん細胞の種類によって治療が異なる。しかしながら、乳がんと向き合う中で、美容師として新しい道を見つけていった。

チャレンジの道のり

 「2019年4月1日…世の中が新しい年号発表を待ちわびてた時…
  私は“乳ガン”という病名を告げられた後、
  新しい年号「令和」を知ることになりました…。
  これからの日記は…何かの時に役に立てれば…
  と思いペンをとりました」

 これが闘病の日々を綴ったアルバムの最初のページに記されている言葉だ。
 2019年2月にがん検診を受け、4月1日に乳がんの宣告。そして5月のゴールデンウィーク明けに手術を受け、折しも結婚記念日だった6月16日から抗がん剤による治療がスタートした。その後、副作用による脱毛や肌荒れを経験した。そして11月から2020年3月まで放射線治療と、仕事を続けながら休む間もなく通院する日々が1年間続いた。
 特に、子宮がん、乳がんといった女性に多いがんの抗がん剤治療の副作用に脱毛があげられる。一番辛かったのは、抗がん剤治療の期間だった。乳がんの治療は手術だけで終わると思っていた矢先、医師から抗がん剤治療を勧められ、副作用による脱毛のことを考えると頭が真っ白になった。美容師という職業柄、髪の毛を失うということに想像ができなかったのだ。悩んだ末に、抗がん剤治療を受けることを選択し、中途半端に脱毛するくらいなら、と自らスキンヘッドにした。周囲にありのままの姿を見せることで、こういう髪型で暮らすことはダメなことではなく、逆に病と闘うことはすごいことなんだ、という想いを受け取ってもらいたいと考え、サロンではウィッグで隠すことなく、仕事を続けた。
 2人に1人はがんになる時代と言われているが、身近にがんになった人がいなかったので、自分はかからないほうの1人だと思っていた。しかし実際は、自分がかかるほうの1人だった。このことから、がんが身近な病気であることをもっと伝えたいと考え、治療中に自分の記録として撮りためた写真や、書き留めてきたメモをまとめ、アルバムを製作した。またブログでも発信している。

「まさか40代後半で人生を振り返るときが訪れるとは思わなかった」と語る佐藤さん。
ご主人も佐藤さんと同じようにスキンヘッドにして心を支えた。
なかなか目にすることもない病院での治療の様子も記録に残している。

現在の活動内容

 入院をしている時は6人部屋で、全員が何かしらのがんを患っていたが、ある日の会話で、「脱毛したあとはどの美容室に行ったらよいのか」という疑問が投げかけられた。「今まで通っていたところに行ったらいいんじゃない?」と単純に思ったが、「これまで通っていたところに、今までと違う状態になった自分が通うのは恥ずかしい」という。
 その言葉を聞き、もし自分のお客様がそう感じていたら、美容師として寂しい。がんを経験した自分なら、今後はこれまでと違う提案を胸を張って伝えられるのではと思い、将来の方向性について光を見出した。
 早速調べてみたところ、自身ががんの罹患者で、がん患者向けのケアをしている美容師は全国的に少ないことを知った。それではと薬剤性脱毛サポート美容師の資格を取得し、ウィッグの相談や、副作用による肌荒れのケアなど、美容師としてできるサポートを2020年4月からスタートさせた。ほどなく地元のテレビ局の取材を受け情報が発信されると、半年で50人ほどの方が来店。サポートを必要としている人の多さに驚いた。
 サロンでは、毎月第2、第4木曜日、第1、第3、第5水曜日をアピアランスの日と名付け、抗がん剤治療に向き合う人をサポートしている。この日は貸し切りで、事前予約制にし、サロンの様子が外から見えないよう配慮して実施している。

 医師からは治療の目途など医療的なアドバイスを受けることはできるが、「いつになったら髪の毛が生えてくるのか」「ボロボロになってしまった爪は元に戻るのか」チリチリになったり白髪が増えるなど、髪質が変わってしまうことへの不安など、美容に関することへの相談は難しい。そのため自身の体験をもとに、治療中の保湿ケアやヘアスタイルのアドバイスなど親身になって応えている。
 抗がん剤が始まる前の1カ月は、これからの脱毛を逆手にとって、今まで挑戦できなかったカラーにしてみるなど、遊び心を持ってその期間を楽しんでみることも時には提案している。病と闘うには、免疫力が大切なので、おしゃれをすることは、免疫力をあげることになる。そしてこれからどうなっていくのか、ゴールがわからない闘いは辛いが、ゴールまでの道のりがわかると向き合い方が変わるので、自身の体験談を織り交ぜながら、少しでも笑顔になってもらえたらと取り組んでいる。

髪の毛だけではなく眉毛やまつげも抜けて
  いった
爪も治療の影響でこのように。上は現在。
サロンの様子

今後の目標・メッセージ

 サロンに足を運ぶ人の中で、がんの宣告を受けたのが2回目という方もいる。来院したときは心もボロボロな状態だったというが、このサロンのサポートを受けて、「前向きに治療に向き合うことができた」と嬉しい手紙を送ってくれた。
 また、初めて来店する人の多くは、こわばった表情だという。しかし、対話や、同時期に闘病をする人との出会いを通して、徐々に微笑みは戻り、その後笑顔になっていく。こうした変化を見ていると、「お客様の“きれい”のサポートだけでなく、心も支えている。」と実感した。
 自身が闘病中で感じた「毎日泣ける状態」というのは、弱っている自分を見せたくない、「大丈夫?」と言われたくない、等で、こうした想いを抱えていた1年間だった。誰も知らないところで闘病生活をスタートしたいと思っていた。
 「“がんばれ”という言葉が苦しいということを、自分が病気になって初めて、本当なんだな、と痛感しました。“がんばれ”と言われると、私がんばっていないように見えるのかな…と辛くなるんですよね。私自身、生きるためにがんばっているだけで1日が過ぎていた1年前。体が重たく、苦しく、辛い時期でしたが、今はこんなにも体を軽く動かせるようになりました。この姿をみんなに見てもらい、ゴールはあるんだと感じてほしいです。」

 今後は、がんサークルのような形で食事会や情報交換の場を設けたり、自分が経験して嫌だなと感じたことをもとに、例えば温泉施設などに足を運ぶことをためらう人向けの入浴デーや、脱毛期間中もおしゃれを楽しめる帽子の開発など色々な職種の人とコラボして、がんを経験した人が生きづらくないよう、サポートの輪を広げていきたいと考えている。
 「2020年4月1日 今日でがん告知から1年… 雲一つもない澄んだ青空 風もない穏やかな朝です。あの日から1年… 目に映る物、肌で感じる事、そして春のにおいも… すべてのものが生まれ変わったように新鮮に感じる。今日という日にありがとう。普通の毎日に感謝…」アルバムはこの言葉で結ばれている。

徐々に発毛する期間に挑戦したヘアスタイル なども発信。
サロンの名前Prismは虹の色やガラスの屈折の色のように、人それぞれに似合う色をつけていく、という想いで名付けた。

 
(令和2年11月取材)