まちづくりファシリテーター
稲村 理紗さん
チャレンジ分野:

プロフィール

1979年 秋田市生まれ

1998年 新潟県内の大学にて社会教育について学ぶ

2005年 秋田市へ帰郷 市民活動支援センターにてアドバイザーとして勤務

2015年 結婚を機に山形市へ

現在   フリーランスのファシリテーターとして活動中

チャレンジのきっかけ

 職業「ファシリテーター」は、聴き馴染みのない方も多いかと思うので、まずはファシリテーターについて紹介したい。
 ファシリテーターとは、話し合いを効果的に、円滑に進めるための支援者。とはいえ議長的な立場ではなく、あくまでも黒子だ。例えば、参加者の大半が男性で女性が少数だった場合、女性の意見もまんべんなく引き出すためにはどのような工夫をすればよいのかを考える。縁の下の力持ちというとわかりやすいだろうか。

 ファシリテーターという職業に出逢ったのは大学時代。自分が今何をしたいのか模索していたときだった。秋田市に生まれた稲村さんは大学進学にあたり、とにかく県外に出たいということが最優先だった。そして選んだ進学先は新潟県内の大学。さあ!ここから楽しい学生生活が始まるという時、無事に大学合格したことで、いわゆる燃え尽き症候群のような心境になった。しばらく何もやる気がしないまま1年ほど時が過ぎていったが、2年生に進級した頃、やる気があふれる後輩たちと出会い、何か活動を始めてみようと一念発起。週に1度公民館を借りて、子どもたちと地域の人たちが触れ合う「放課後学校」を立ち上げた。

様々な工夫をこらしてミーティングを進めて いく
大学時代の稲村さん(左)

チャレンジの道のり

 放課後学校の活動をより良いものにしようと、仲間たちとのミーティングを重ねていた時、多様な人たちとの話し合いの難しさを感じた。こうした自分たちのミーティングをより良いものにしたいと思う中で、ファシリテーターという役割があることを知った。さらに、ファシリテーターを養成しているNPO法人があることを知り、ボランティアで手伝いをしながら、ファシリテーターとして熱心に活動する先輩の姿を間近に、実践を通して多くのことを学んだ。
 卒業後は帰郷し、ファシリテーターとして学んだことを活かしていきたいと思ったが地方での需要は多くなく、仕事にすることは難しいと判断し公務員を目指すことに。そうした中、秋田市に市民活動支援センターが開設され、地域づくりのアドバイザーを募集していることを知った。これだ!と思い応募したが、結果は不採用。それでもあきらめきれなかった稲村さんは、自分にも何かできることがある、ボランティアでいいので関わらせてほしいと押しかけ、半年間活動。その熱意が買われて晴れて採用に至った。
 市民活動支援センターでは、市民活動のアドバイス業務の他外部講師を招いてファシリテーション等の講座の企画を担当していたが、大学時代にファシリテーターのスキルを学んでいたこともあり、徐々に自身がファシリテーターとして活動するようになっていった。

秋田にてアドバイザーとして勤務していた頃

現在の活動内容

 約10年間に渡って、地元秋田でファシリテーターとしての経験を積んでいったが、2015年、結婚を機に山形市へ。夫は学生時代に一緒に学び、公民館での放課後学校を立ち上げたメンバーの1人だということもあり、パートナー歴は実質20年。そうした夫の理解も得ながら、現在は子育てをしながらフリーランスでファシリテーターとして活動している。
 ファシリテーターの多くは、企業から依頼を受ける営利分野が占めているとされるが、稲村さんはまちづくりなど非営利の分野に特化している。まちづくりは、教育や福祉など様々な要素が包括されていると捉えていて、まちづくりに関わることは、自分が暮らしている地域に積極的に関与していくこと、自分たちのささやかなアクションがより良い暮らしにつながるところにやりがいを感じている。
 主に、行政からの依頼を受けて地域の話し合いの場づくりの支援、また東北芸術工科大学や東北公益文科大学で、ファシリテーションを教える授業を受け持っている。また、最近ではオンラインでの話し合いの場づくりについての依頼も増えつつある。
 テーマに沿った話し合いをいかに円滑に進めるか。その時々で参加者層も異なるため、こうすればこうなるというものではなく、毎回工夫は欠かせない。話し合いが滞ったときや初対面の人の緊張を解きほぐすためのアイスブレイクを採り入れたり、話し合いを会話で進めるだけではなく、時には紙に書いてもらって集約するなど、よりスムーズに意見を出してもらえるような工夫を組み込んでいく。毎回同じ手順、結果になることはなく、いつも変化があって一筋縄ではいかず、ドキドキ、ワクワクするところに面白みを感じている。

今後の目標・メッセージ

 2020年はコロナ禍で、オンラインでの話し合いの場を円滑に進めたいという依頼が増えている。これまで15年ほどファシリテーターとして活動していたが、新しい挑戦となる。
 まずは参加している人の環境の違い。スマートフォンやパソコンなど使用機器が異なったり、オンラインに慣れているか否かの違いもある。また、これまでいわゆる「三密」を大切に、醍醐味にしていたので、その逆境に苦労しているというのが正直なところだ。しかしながら、場所を選ばず全国に住む仲間たちと意見交換をし、また全国からファシリテーターの依頼がくるなど新しいつながりも生まれている。遠方の仕事では、地名の下調べなど地元の仕事とは異なる準備も必要だが、決して「できない」とは言わず挑戦したからこそ仕事の幅が広がったという、これまでの経験を思い出し、意欲的に活動を続けている。
 加えて、グラフィックレコーダーの仕事にも最近力を入れている。対話を聴きながらポイントになるところを即座にわかりやすく表記していき、後から見直したときにどのような話し合いが行われたのかがよくわかるものに仕上げるというもので、これも大学時代に勉強したことの1つだ。

 「現在は各地域で過疎化が進み、高齢者が免許証を返納しても公共交通機関の便が悪く移動が困難だったり、また除雪など様々な議題に上がることが多いまちづくり問題。地域でどのような支え合いができるか、その仕組みづくりの第一歩となる話し合いの場を、これからもファシリテーターとして支えていきたい。」

グラフィッカーとしてミーティングの内容を 書き込んでいく
ある日のグラフィックレコーダー

 
(令和2年11月取材)