チェロ奏者
久良木 夏海さん
チャレンジ分野:

プロフィール

1987年 東京都に生まれる

1993年  6歳よりチェロをはじめる
     東京芸術大学音楽学部附属音楽高校を経て、同大学卒業
     桐朋学園オーケストラアカデミー研修課程修了

2012年~山形交響楽団にチェロ奏者として入団

2017年~山形大学地域教育学部客員准教授を務める

チャレンジのきっかけ

 チェロと出合ったのは6歳のクリスマスで、サンタクロースからのプレゼントだった。その後、名門の高校、大学、オーケストラアカデミーで学びを深め、卒業と同時期に行われた山形交響楽団のオーディションに合格した。
 東京に生まれ約25年間暮らしたので、地方で暮らすのは初めてだった。2012年6月に山形駅に降り立ったときは、その規模の違いに戸惑ったが、「山響に受かったのも何かの縁。山形での暮らしもきっと大丈夫!」と発奮した。
 翌年春、東京と山形で初めてソロリサイタルを自主開催した。当時は山形での人脈が少なかったため観客が集まるのか心配だったが、山響の新入団員ということで多くの人が来場してくれた。この成功から「やればできる」こと、演奏会を一から作る楽しさを体感し、山形だから出来るさまざまなことに挑戦してみようと思い始めた。
  山響メンバーと小さなカフェでの室内楽や映画館や美術館での演奏を行った。オーディションにチャレンジして合格し、仙台フィルハーモニー管弦楽団と協奏曲を共演した。また仙台フィルメンバーと山響メンバー合同アンサンブルによる仙山交流や、ウィーンの作曲家シューベルトの室内楽とウィーン料理のコラボレーションなど、オーケストラプレイヤーとしての活動と並行してさまざまな演奏にチャレンジしていった。

幼い頃の久良木さん

チャレンジの道のり

 初めてのソロリサイタルの後いくつかの演奏会を開催し、さらに経験を積む中で、ある作品を演奏したいという気持ちが強くなっていった。それは、バッハの『無伴奏チェロ組曲』。チェリストのバイブルともいわれ、チェリストが一生かけて弾き続けていく曲とも言われている大曲だ。10代から練習を続けてきたこの曲をぜひ山形で演奏したい、そう思ったものの、組曲6曲すべてを1日で演奏するのは聴く人にとってもハードルが高いと考え、無理なく楽しんでもらえるアイディアはないか思案した。
 その結果、6回シリーズにして、無伴奏チェロ組曲を1曲と、さまざまな楽器のゲストを招く形での開催を決めた。さらに演奏会とは別に、ブログで曲に関する自身の考察をわかりやすく紹介したり、共演するゲストとのインタビュー動画をYouTubeに投稿するなど、多角的に楽しんでもらえるよう工夫した。

 演奏会は2020年12月に第1回目を開催し、その後毎月1回行い、2021年5月に無事に幕を下ろした。この期間は折しもコロナ禍、そのような状況でも全回完売御礼でキャンセル待ちがでるほどの反響があった。
 これまで弾き続けていた曲ではあったが、人前で全曲を演奏した今回の取り組みで大きな発見があった。それは観客の反応が曲の世界をさらに広げていくということ。やりたいと思っていた大きな目標を30代で叶え、大きな収穫を得ることができたことに喜びを感じている。

無伴奏チェロ組曲演奏会の様子

現在の活動内容

 山形交響楽団メンバーとして県内外で年間150回以上の公演を行うほか、山形大学の客員准教授として専攻生や副専攻生にチェロを教えるという忙しい毎日が続いていた。そして、突如見舞われたコロナ禍により山形交響楽団が3ヵ月ほど活動を休止することになり、今までにない毎日を送ることとなった。
 しかし活動休止後、オンラインで演奏を配信することになった際は大人数で音を出す喜びを再確認した。そして無観客から有観客になった際には、観客からの拍手が心にしみ、これまで当たり前だったことが特別に感じられた。
 山響のYouTubeチャンネルでは、山形のさまざまな名所で花笠音頭を演奏し、山形の魅力を音楽と共に世界へ発信している。オーケストラの演奏会の中止が続いたコロナ禍にも多くの寄付が集まり、また定期演奏会の会員数も増えている。山形に交響楽団があり、自身がその一員なのだという存在意義をこれまで以上に強く感じられるようになった。
 さらに昨年、2代目の楽器と巡り合った。無伴奏チェロ組曲の演奏会がそのお披露目となり、幸先良いスタートになった。初めて自分で購入した楽器ということもあり、思い入れもひとしおだ。楽器の持つポテンシャルを活かすも殺すも自分次第、そう思って楽器に向き合い、曲に向き合う日々を送っている。自分がこの楽器に出合い、そしていつかは誰かに受け継がれていく…そう思いながら、自分の音を磨き、真摯に音楽を奏でていきたいと考えている。

山響で演奏する久良木さん

今後の目標・メッセージ

 「何の縁もない山形に来て9年間、いろいろなことがあっても乗り越えてこられたのは、山形の方の温かさと支えがあったから。山形も山響もとても可能性に満ちていると思います。山響に入団したからオーケストラプレイヤーとしてさまざまな経験を積むことができ、それが自分の礎となっています。オーケストラに入っていなければ弾けないたくさんの曲やさまざまな土地の方と出会えたことが大きな財産です。音楽は地道なチャレンジの積み重ねです。新しい楽器を相棒に、まだ見ぬ景色をたくさん見ていきたいですし、それを多くのお客様と共感できる音楽家になりたいです。」

2020年1月23日アフィニスアンサンブルセレクションConcert A 仙台フィル&山響メンバーによるシューベルトの室内楽をJTアートホール アフィニスで演奏。
(令和3年7月取材)