プロフィール
山形市出身。
山寺で生まれ、高校を卒業してすぐに短期留学でオーストラリアとイギリスへ。
帰郷後、東根市で子どもを対象にした英会話スクールの講師に就く。
結婚を機に、2007年から実家である土産物店「ふもとや」の若女将となり、現在、観光のコンシェルジュ的な役割を担う「山寺英語ガイド」の組織立ち上げに取り組んでいる。
チャレンジのきっかけ
山と川しかない山寺を離れ、もっと世界を見てみたいと思い、高校卒業後に短期留学でオーストラリアへ。一度山形に戻って資金を貯めてからイギリスへ渡り半年間過ごした。その後はタイ・インドネシア・エジプト・シンガポール・マレーシアなど多くの国を訪れた。
今まで知らなかった国の文化や言語は大きな刺激となった一方で、オーストラリアのケアンズを訪れた時に「自然豊かでのどかなところが生まれ住んだ町と似ている」という印象を抱く。留学先で「どこから来たの?」と聞かれて「山形」と答えても知る人はいない。「山形って何が有名なの?」と聞かれても、自分自身がこれまで考えたことがなかったため、うまく伝えられない。生まれ育った場所のことをもっと勉強しておけばよかったと実感することもしばしばだった。
海外で何より恋しかったのは、祖母の作る茄子漬や小さいときから食べていた料理。この留学の経験は、何もないと思って育ってきた場所が、実はとても恵まれた環境だったことを気づかせてくれた。山寺には山も川もあり、歴史や文化もある。そして、人の温かさとおいしい食べ物がある。地元への思いは“無”から“有”へ変化し、山寺をもっと多くの人に知ってほしいという思いが芽生えてきた。
チャレンジの道のり
結婚後、土産店を営む実家の仕事を本格的に手伝うようになった。コロナ禍前は、海外から山寺へ年間70万人もの観光客が訪れていた。と同時に、落とし物や迷子、ケガなどの困りごとも増え、窓口の山寺観光協会だけでは受け入れ対応が難しい状況であった。
自分自身が海外での困りごとがあった時に親切にしてもらった経験からできる限りの対応をしたいと考えていたものの、一人で対応できる人数ではなくなっていた。英語を話せる人材がもっといれば、観光客の手助けができる。その思いが「英語ガイド」育成の取り組みにつながった。
現在の活動内容
コロナ後を見据え、山形県の協力を得ながら2019年から山寺英語ガイドの組織化を進めている。2020年には山寺観光協会内に「インバウンド部」も発足。現在、観光客に山形の良さを伝えたい、自分の英語力をキープしたいという大学生から50代までの10人が登録し、ガイドを目指して研修中だ。
お寺では靴を脱ぐ、リスペクトの意味から帽子は脱ぐ、小さい声で話す、人にカメラを向けないなど外国人が対象となると説明の内容も異なってくる。そこで、山形在住の外国人を講師に、立石寺根本中堂から奥の院までを散策しながら、発音の仕方だけでなく文化の違いや歴史についてどう説明するかを「英語の台本」を手に指導してもらった。
昨年はトライアルツアーも実施。奥の院まで散策し、紅花料理の弁当を持ち帰ってもらうツアーには、日本に住む英語を母国語とする7人の外国人が参加してくれた。コロナ禍で限られた人数だったが、参加者から好評を得たことが次の自信になった。今すぐ海外からの観光客が戻ってくることが難しい中、英語に興味がある日本人や日本に住む外国人を対象にしたトライアルツアーでトレーニングを積み、来る日に向けて万全な体制を整えていきたいと考えている。
今後の目標・メッセージ
山寺と紅花文化が日本遺産に選ばれたこともあり、コロナ禍という状況が回復すれば、また以前のように多くの観光客が山寺を訪れると期待している。外国人観光客はしっかりと予定を立てずに県内を周遊する人も多いので、単に山寺の専属ガイドとしてだけでなく、次に目指す観光地の紹介や必要としている情報を伝えられる人材を育て、山形県の観光コンシェルジュ的な役割を担う拠点となることが目指すところ。
現在、ガイド登録している人は県内の温泉旅館の娘さんや留学経験のある人、ニューヨーク出身で山形在住の人、山伏修業をしている人、ネイチャーガイドを目指している人など十人十色。そうした人たちが山寺に英語ガイドを目指して集まってくれることで、今後は山形の観光の「点」が「線」となり、県全体の盛り上がりにつながっていくことを願っている。