プロフィール
■活動履歴
山形県河北町生まれ。常磐大学国際協力学部卒業
平成14年4月~平成16年3月 海外ボランティアとしてNGO(NPO)団体へ所属
(カンボジア、インド、バングラデシュ等へ派遣)
平成17年 2月 コミュニティビジネス公開起業オークションに応募
平成17年 7月 有限会社青空介護サービスを設立
平成17年10月 青空つどいの家を開所
平成24年 1月 青空つどいの家寒河江支所開所予定
■資格
平成21年 介護福祉士
平成23年 介護支援専門員
チャレンジのきっかけ
高校のときから青年海外協力隊に憧れていた田宮さん。海外ニュースで目にする戦争や飢餓などの悲惨な状況に、この人たちのために役に立てないだろうかという思いから、大学ではその専門分野である国際協力学科に進学し、在学中もたびたび海外ボランティアとして開発途上国を中心に活動してきた。
「そのときの私は、このまま卒業して社会人になって家庭を築き、平々凡々な生活をしていくことが幸せなんだと想像することができなかったところもありました。」
何度か海外ボランティアに行って実感してきたのが、手に職が無くては現地の方の要望に応えることができないということ。
「気持ちは誰よりも負けてないつもりでしたが、それだけでは駄目でした。語学の指導や井戸の掘り方、野菜の育て方など、直接的なことで貢献できる方が現地では求められていて‥。悔しいですが、子どもの遊び相手くらいにしかなれなかったですね。」
理想と現実のギャップに悩んでいた時期に、ちょうど父が大病を患う。
「青年海外協力隊の派遣が正式に決まっていましたが、自分の親という一番身近な人間をも幸せにできないのに、海外の知らない土地で、言葉も通じない人たちを果たして幸せにできるのだろうかと、足元を見せられたような気がしました。」
まず最初にしなければならないことはこれだと感じて父の看病をしに海外派遣を辞退し、河北町へと戻った田宮さん。
「海外は自分の中で一旦ちょっと休止。自分の夢を諦めることになるので辛かったですが、故郷で自分ができることを探していこうと思い直すいいきっかけでしたね。」
「私が一番好きなのは”人”なんです。特にお年寄りに関わる仕事がしたいと思いました。」
優しくて大らかで今まで何十年も生きてきた人生の先輩。海外では大尊敬の眼差しで見られるのに、日本では肩身の狭い思いをしている人が本当に多い。
「今まで私がたくさんの方に支えられ、助けられた感謝の想いへの恩返しの意味を込めて、この先輩方と共に歩み、最期の時まで幸せを感じ、いい人生だったと思ってもらえるよう、私は側でその方の力になりたいと考えるようになりました。」
高齢者福祉の道にたどり着いた田宮さん。福祉施設に就職したものの決まりきったルールの中でのビジネス的な応対で、田宮さんが描いていた世界とは少しかけ離れていた。何かが違うなと悩み始めていたとき、”コミュニティビジネス”というものを教わる機会があった。
「一から学んでいくうち、一般市民でも地域のニーズに合わせたコミュニティビジネスを作り出すことができるんだと分かりました。今まで溜まっていた”これで良いのかな””これって正しいのかな”という思いを一気に解消することができました。」
ちょうどその時期に村山総合支庁で行われたコミュニティビジネス公開起業オークションに応募して、提案内容が高評価される。「描いていたことが間違ってなかったとそこで実感しました。でもまさか私が起業するなんて思ってもみませんでしたね。」
「人とのふれあいの中で介護をしたいと思っていた母も長年勤めていた病院を退職して、父も含めた3人で青空介護サービスを設立しました。その当時は家族5人のうち4人がフリーターという状況でして、コケたらどうすんだよって言いながら家族で笑ってました。今では兄も一緒に働いてますので、ほぼ家族経営となってますね。」
4月から開業準備し10月オープンと、半年という短期間で起業を実現している。
チャレンジの道のり
他地域から来たよそ者をなかなか受け付けない風潮がある田舎での介護施設の開所。
「当初はやはり苦労しました。自宅でできれば良かったんですがバリアフリーへのリフォームが大変だったので、他の地域の空き家を改装して開所しました。」
「河北町出身でも最初は受け入れられなかったですね。宣伝してもあまり反応がなくて、最初はなかなか利用してもらえず、1ヶ月くらいは祖父と祖母だけがお客様だったかな(笑)。」
「明るい兆しが見えてきたのは半年過ぎてから。利用者やそのご家族はもちろん、地域の方々からも、あそこは”悪いところじゃないな””居心地が良かったな”と、口コミで広がってくれたようです。」
今では80名前後の方が、デイサービスや訪問看護・居宅介護サービスを利用している。
「施設に民家を使っているので家庭的に見えるのもありますが、ここは心と心の会話ができます。”青空さんにまた行きたい””ここに来ると笑えるんだぁ、楽しいんだぁ”と言われることがすっごく嬉しいですね。」
田宮さんにとっても利用者にとっても、青空つどいの家は心の居場所となっている。
現在の活動内容
青空つどいの家が河北町にできてから丸6年。まもなく寒河江市内にも2号店が開所予定である。
「2号店は、私が夢に描いていたような、お年寄りや子どもや障がいをもっている方、そして地域の方が壁をなくした一つの空間に、自由にそして気持よく居られるような場所作りを目指していく予定です。」
近所の子どもがふらっとやって来て勉強していったり、特技を持っている地元の方から芸を披露してもらったりと、いろんな世代のみんなが一堂に集まって触れ合える空間作りを目指し準備している。
「本業が軌道に乗ってきた3年目くらいで、ふと地域を考えることがありました。ふと周りを見たときに、かつてあった河北町の元気が徐々になくなってきているように感じたんです。町の中には若者や子供の姿が少なく、歩く人もまばらで。私の大好きな町は、いつの間にかシャッター街の町並みになっていました。」
「山形県は良い所がたくさんあるのに何で皆気づかずに、他のところにいってしまうのだろうと思って。どうやったらみんな気づくかなと考えた時に、真面目に学ぶのではなく、遊びながら楽しみながら学べれば、若者は遊び感覚で生活の中に潜んでいる学びを見つけられるのではと思い、”楽ism(たのしずむ)”というサークルを作ってみました。」
まずはメンバーを友達で構成して、友人の若手農家さんから田植えを教わるなどのテーマを毎回考えつつ、楽しく遊びながら体験していく活動を行っている。「メンバーみんなで単なるドライブをするのではなくて、地元の方を巻き込んでそこに住んでる人しか知らないようなスポットをめぐる旅とか、ゴミを出さないように自然にあるものを活用して、環境を身近に考えたりとか。」
元気ネットかほくというNPO法人の一員としても活動していて、共同企画などで地元の方を講師として教室を開き、若者が知らないような残したい技や郷土料理を学ぶきっかけづくりも行っている。
「普段は普通の会社員だけれど、ちょっとした特技があると自然にその人が先生になれたりもするんです。」
学校では教われない若者による手作りの学びの場を作ることを目的にした”おとなプロジェクト”も企画して実際の廃校を利用した活動をしてみるなど、人と人とのネットワークを有効に活用した取り組みを行っている。
さらには、山形よみかき小冊子”ひまひま”の原稿投稿も行い、読書会もメンバーと一緒に行っている。
「”ほんきこ。”という置賜地方のフリーペーパーがありますが、その山形バージョンを山形市のフリースペースぷらっとほーむさんと共同で作っていて、今まで2冊出版しています。1冊目は東日本大震災直後の被災した様子を若者たちの目線で、それを形に残そうという趣旨で作りました。2冊目からは出版に関わっている人たちが普段感じたり思っていることを投稿しています。」
多岐にわたったさまざまな活動を一つずつ紹介してくれる田宮さん。
「やる気と行動力があれば何でもできますね。」「それと結局は人なんです。人が好きだから他人だった人を繋げたくもなるし、いっしょに集まって楽しみたくもなるし‥。いつのまにか周囲でカップルができてて3組も結婚してしまいました。(笑)」
今後の目標・メッセージ
「私の生涯のテーマって『心』なんです。心と人。自分にとっても他の人にとっても居場所になれる心のよりどころとなれる場所を、これからもいろんな所につくっていきたいと思います。たくさんの方から関わっていただけたら幸いですね。常に一緒に楽しみたいメンバーは募集してますよ!」
「起業ってすごく大変なイメージがありますが、きちんとした理想と信念とビジョンを持って諦めずに進めば、必ず明日につながると思います。想いだけでは潰れてしまいますし資金面での問題などもありますが、焦らずに真摯に自分を信じていけば、必ず想いが誰かの心に届き、そこから想いが広がります。夢を持って、自分を信じて。そして、明るく楽しく前を向いて共に歩いていきましょう。」