プロフィール
日本三大刺し子のひとつに数えられる「庄内刺し子」。その庄内刺し子を豊富な文様と優れたデザイン性で支えてきたのが「遊佐刺し子」。古くから暮らしに根付いた刺し子の技法を、遊佐の女性たちは、その手で守り伝えてきた。印をつけずに刺していく遊佐刺し子は、刺し手の感性が刻まれ独特の文様を見せる。
平成18年 1月 「遊佐刺し子とその歴史」研究会を立ち上げる
平成18年 7月 『遊佐刺し子に遊ぶ』出版
平成21年11月 『続・遊佐刺し子に遊ぶ』出版
チャレンジのきっかけ
数年前、偶然に「橇曳き法被(そりひきはっぴ)」に出会あった。遊佐町の地域づくり活動をしていて、刺し子の先生でもある土門さんとの出会いが橇曳き法被を知るきっかけだった。土門さんの活動を通じて、刺し子に出会った。
同じ刺し子でも、「庄内刺し子」は有名なのに地元遊佐の「遊佐刺し子」はあまり知られていない。
この事実に驚いた。
「遊佐刺し子って何だろう?」という疑問から、遊佐刺し子の研究を開始した。
早速、地元の方々を対象に聞き取り調査を実施した。 調査を続けるうちに資料も増えていった。思いきって蓄積した資料を基に「本」を出版した。出版するにあたり、研究してきた仲間達と一緒に出版したいという希望から「会」を立ち上げた。こうして「遊佐刺し子とその歴史」研究会が発足した。
※橇曳き法被(そりひきはっぴ)
山から薪を橇(そり)に乗せて麓に下ろす作業の時に着る法被。昭和の中頃まで続いた。 山に入る男衆の無事を祈る女性たちの深い愛情と、神への祈りが美しい文様に込められている。
チャレンジの道のり
医師である佐藤さんは、まず自身の患者である年配の方々に話を聞いた。しかし、刺し子はあって当たり前の生活必需品であり、文化という認識がなかった。しかも刺し子は女性が行う。“女性が行うもの=文化ではない”。そんな時代と地域性もあり、刺し子についての評価は低かった。「あまりにも日常的なことで話すのも恥ずかしい」そんな声さえ聞かれた。
しかし、そんな低評価の刺し子だが、「昔みんなで一緒に刺し子をした。お昼の休憩時間に、お弁当やおやつを食べながらいろんな話をして楽しかった」と言う声もあった。様々な思い出話から少しずつ話を引き出し、刺し子の背景を理解していった。
また、数十数年前の骨董品のブームの時には関東や関西、遠くは九州から骨董品の収集家達が押し寄せて来た。そのため地元の農家や年配の方々は、刺し子についての話題を避けるようになっていた。そのような深い“遊佐刺し子の歴史と背景”を本にしようと思い立った。
現在の活動内容
前出の土門さん達が中心となり、遊佐刺し子の手わざを後世に伝えるために、「LLP遊佐刺し子ギルド」を設立。企業からの注文も受けている。
「遊佐刺し子スクール」を開き、教育普及活動も始まっている。
その他、展示会を開いたり、自分達で製作も手がけるなど幅広く活動の場を広げている。
昨年の9月には、土門さんを初めとするLLPや遊佐刺し子スクールのメンバーがイギリスに招請されて刺し子体験教室を開催した。手荷物で持参した『遊佐刺し子に遊ぶ』『続・遊佐刺し子に遊ぶ』は、日本語で書かれていたにもかかわらず大好評だった。教室に来た多くのイギリスの女性達が遊佐刺し子を賞賛し、本を買い求めた。
今後の目標・メッセージ
現在の活動を続ける中で、「遊佐刺し子スクール」の生徒の中から後継者になる人が現れ、遊佐刺し子を守り続けてくれる事が夢だ。
また、遊佐以外の場所でも刺し子に通じる文化が残っている。遠く離れた場所から遊佐刺し子との思わぬ共通点が見つかる。それを調べるのが今後の目標だ。
“新しいアイディアを生み出す”事が大事。そのために知りたい事の成り立ちや背景をよく知る。バックグラウンドがしっかりしてくれば、色々な新しい事ができる。基盤がしっかりしていないと、目の前にあるものの真似はできるが新しいものを創ることは不可能だ。新しいものを創ることは結果として自身の人生を豊かにしてくれる。そしてさらに新しい楽しみをもたらしてくれる。
「頑張ってほしい。私もこれからの皆さんのお役に立ちたいです。」と心強いメッセージで締め括った。