Daizy cafe オーナー
植松 美穂さん

プロフィール

米沢市出身。
市内の高校卒業後、CICカナダ国際大学に留学。
帰国後は東京都内のアパレルメーカーに就職する。
23歳でUターンし、地元の旅行代理店に勤務。
米沢に戻った6年後の2006年にDaizy cafeを立ち上げる。
35歳の時に子宮頸ガンと妊娠がわかり、その体験は壮絶で、人生観を変えるきっかけになった。

2019年、女性初の米沢商工会議所青年部会長に就任。
現在は米沢まちの駅運営協議会会長、市主催の「米沢ヤングチャレンジ特命課」のメンバー、2021年に立ち上げたWoman Visionの代表などを務めながら、定期的にマルシェを開催するなど多岐に渡り活動を続けている。
年内に、自宅を活用したゲストハウスもオープンさせる予定。

チャレンジのきっかけ

 小学生の時に見た海外ドラマの影響を受け、中学・高校の時は、留学したいという思いを持っていた。その夢をどうしても叶えたくて、機会を見つけては家族を説得していたがなかなか了承は得られなかった。
 しかし、高校3年の大学進学を考える時期に「留学させてほしい」と毎日のように土下座をして両親に頼み、その半年後にようやく許しを得ることができた。

 留学先は、兄と同じカナダに決め、大学では環境を専攻した。カナダは日本よりも環境に対する意識が高く、EARTH DAY(地球環境について考え感謝し、行動する日とされている)のような地球環境を考える機会が多くあった。授業は、教わるのではなく、自分でテーマを見つけ考えていくもので、空き缶やゴミを集めるなどのフィールドトリップ(実地見学)の時間は、それまで環境について考えることがなかった自分にとって、価値観を変えるものだった。

 また、ディベートするだけの語学力はなかったので「わからなかったら笑っとけ」という日本人の感覚でいると「なんで笑っているの?」と言われることもあり、うまく話せなくても、思ったことを伝えることが大事だという意識も育った。

 卒業後は日本に戻り、バイヤーとして海外と日本を飛び回る仕事に憧れ、東京のアパレルメーカーに就職した。しかし販売員として百貨店に配属され、会社とアパートを往復する毎日だった。季節を先取りするアパレル業界なので7月に秋冬物の洋服を着るという、そんな季節感の無い生活を送るうちに、いつしか米沢に戻りたいと思うようになった。3年勤めたのちに米沢へUターンし、市内の旅行代理店に就職した。地元で働きながら生活していく中で、「みんなが集まれる場所をつくりたい」という思いを持つようになり、カフェを開いたらいろんな人が来てくれるのではないかと思い、その決断をした。

チャレンジの道のり

 「“自分の町には何もない”と不満を言うくらいなら、楽しくなる方法を見つけたほうがいい」という思いでカフェを開くことを決意したが、飲食店で働いた経験もなければ起業のノウハウもなく、どこに相談すればいいのかも全くわからなかった。そんなときに目に飛び込んできたのが、山形商工会議所が主催する「女性のための起業セミナー」のチラシだった。セミナーを受講し、名刺を作る初歩的なところから指導を受けた。米沢商工会議所に勤める友人にも相談してアドバイスをもらいながら、29歳の時にDaizy cafe (※)を立ち上げることができた。(※店名は、Daze(ぼーっとする)、Cozy(居心地が良い)、Daily(毎日)を組み合わせた造語)

 行動するときは完璧な状態で始めようとは思わず、まずはやってみて進みながら、その場の状況に応じて最善を尽くすというのがいつものスタンスだ。そのほうがフットワーク良く行動できる。カフェも、オープンしてから4~5回は改装を行なった。当初はアジアンテイストにして雑貨も販売したが、今はナチュラルテイストの雰囲気に変わっている。年齢による好みやその時の関心事によってイメージは変わっても、一貫しているのは「居心地の良さ」だ。

 35歳のとき、人生観が変わるほどの出来事があった。健康診断で子宮頸ガンが見つかり、同時に妊娠もわかったのだ。安定期に入ってから円錐切除術でガンを取ることにした。しかし、手術を受けたものの、ガンをすべて取り切ることができず、転院することになった。

 転院先では出産と治療のためのチームが組まれ、34週で赤ちゃんを出し、その後にリンパ節を含むガンの範囲を切除した。しかしその4週間後、リンパ節への浸潤の恐れがあるということで抗がん剤治療を受けることになった。生まれたばかりの赤ちゃんを両親に預け、母乳を捨てながら、立ち上がれなくなることもあるほど辛い治療を続けた。それから10年が経って再発もなく、現在は年に一度の健診を受けている。

 治療を続けている間は、落ち込んでいる時も週に1回だけ店を開けた。1人でいるよりも、人と話し、人の話を聞いていると気が楽になり元気になれたからだ。そうした自身の体験を啓発のためにさまざまな場で話したり、SNSで発信しており、同じ悩みを抱えている女性から「誰にも言えなかった」とメッセージをもらうこともある。

 「がんばればなんでもできる」と生きてきた自分がまさかガンになるとは思わなかったし、誰でもなり得るんだと思った。また病気になってみて、どうにもならないことがあることも知った。しかし、応援してくれている娘にがんばっている姿を見せていきたいから、そこで留まってはいられなかった。

現在の活動内容

 現在の活動のベースはカフェの経営で、学生から年配の方まで老若男女が集い、情報交換の場所になっている。

 

 

 

 

 まちづくりの活動に関わることも多く、現在はイベントなどを企画しながら、ふらっと立ち寄れる街づくりを考える「米沢まちの駅運営協議会」の会長や、若者自らが住む町のことを本気で考え主体的に行動していく「米沢ヤングチャレンジ特命課」のメンバー、そして、米沢に関わる女性の声を大事にしたいと立ち上げたWoman Visionの代表も務めている。また2021年から5、7、9、11月の第2土曜日に開催しているマルシェの発起人でもある。マルシェは「中心市街地活性化協議会」の会議の中で提案したもので、1回目の参加は12店だったが、現在は隣県からの出店も含めて50店舗以上が参加している。

 地域との関わりについて考える発端となったのは、米沢に戻ってまもなく、祖父の戦友たちが眠る沖縄を祖父と訪れたことだった。同行してくれた地元のガイドに米沢から来たことを伝えると、上杉家の最後の藩主・上杉茂憲が沖縄県令となり、私財を投げうって沖縄のために尽くしたことを話してくれて、「米沢に足を向けて眠れません」と言われた。その時に初めてそのことを知り、自分の住む町のことさえ知らないのに、外国が良い、東京が良いと言っていた自分が恥ずかしくなった。そして、このことが地元に貢献しようと思うきっかけになった。

 「自分にできることは、見たり聞いたり、感じたりしたことを人に伝えること」「地域が良くなるためにどう行動していったらいいのか」そんな思いで活動を続けている。

 活動の場が広がる中で、所属する米沢商工会議所青年部の会長をやってみないかという話が舞い込んできた。何度か断ったものの青年部の仲間の「支えるから」という言葉や、令和元年という新たな始まりを感じる時だからこそ「女性初の会長に」という話が出たのではないかという思いもあり、引き受けることにした。

 青年部は男性が圧倒的に多かったため夜に行なっていたミーティングをお昼の時間にDaizy cafeで行なったり、活動しやすいようにみんなが協力してくれた。

 ミーティングの中でよく出たのが「去年やったから」という言葉で、「こういうふうにしたら?」と代案を出しても「去年までやったことがないから」という話で終わっていた。前例を踏襲することは多いと思うが、どうしても納得できない場合はそれを“やる意味”を聞くようにした。伝統を守りつつも、必要のないものは手放す決断も求められている時代にあって、「あたりまえだと思っていたことがあたりまえではないこともある」と、周りの意識も少しずつ変わっていった。

 子どもたちに“商売”について教えるイベント「ジュニアエコノミーカレッジ」の継続や、健康をテーマにさまざまなことにチャレンジする「健康増進室」などの新規イベントも数多く行なった。

 青年部内では、自分の空いた時間に参加してもらえるように「朝まで生会議」を行なったり、経営者であるメンバー同士の交流を深めることも兼ねて、一人ひとりが講師役となり勉強会も開いた。1年間の任期中に全国を飛び回り、いろんな人と知り合えたことが大きな財産になっている。

今後の目標・メッセージ

 実家の使わなくなった部屋をリノベーションしてゲストハウス(民泊)を経営していた経験を活かし、自宅を活用した女性限定のゲストハウスを年内にオープンさせる予定で、日本のみならず、世界各国から訪れる利用客と交流をしていきたいと考えている。

 自分ががんばればその影響を受けてくれる人もいるが、反面「それは美穂さんだからできるんだよね」と言われてしまうこともある。誰でもすべてができるわけではなく、やるかやらないか。「できない」を理由にせず、行動に移していくマインドに変えていけば世界が変わってくると思う。

(令和4年9月取材)