特定非営利活動法人クローバーの会@やまがた 理事長
樋口 愛子さん

プロフィール

1973年、飯豊町生まれ。

山形市内で会社員や製菓業などのかたわら市民活動を続け、2022年4月より「特定非営利活動法人クローバーの会@やまがた」理事長。

2014年 長女の不登校をきっかけに、青少年の居場所づくりに取り組むNPO「ぷらっとほーむ」を知り、スタッフとして参加。同NPOの事業の一つとして不登校や引きこもりの子どもを持つ親の会を発足。

2015年 「ぷらっとほーむ」から独立し、任意団体「クローバーの会@やまがた」として活動を開始。

2019年 解散した「ぷらっとほーむ」の活動を引き継ぎ、フリースペースを運営。

2022年4月 「特定非営利活動法人クローバーの会@やまがた」として法人化。

2022年11月 父が亡くなり母が一人になったため、山形市から実家のある飯豊町に住まいを移す。

【「クローバーの会@やまがた」の主な活動】

・親の会 /毎月第3水曜日 19:00~21:00
・フリースペース /火、水、木、土曜日 14:00~17:00
・子ども若者食堂 /おおむね第4土曜日
・プチ・フードパントリー /不定期
・みどり教室 /第2・4土曜日 15:00~17:00
・フリースクール /毎週火~金曜日 10:00~14:00

チャレンジのきっかけ

 現在2人の娘はすでに成人し、自分の道を見つけて自立しているが、長女は小学3年から中学2年まで不登校、次女は小学5年から中学3年まで全く学校に行かなかった。

 長女が不登校になった時、子どもの不登校を認められず、無理に行かせようとした。どうしたらいいか悩み、学校やさまざまな相談窓口に行ったが安心できず、親子で追い詰められていった。そんな頃、ふと近所の年配の女性に娘のことを話すと、「うちの子も不登校だったけど、今は普通に勤めている。大丈夫だよ!」と励まされた。専門家の言葉より、その一言に心からホッとして救われた。それがきっかけで同じような立場のお母さんと話したいと思ったが、当時は親の会という存在も知らなかった。       

 長女が中学1年になり、「どこか居場所になるようなところがないか」とインターネットで検索していた時に、子どもや若者たちの居場所・学びの場づくりの活動をしている「ぷらっとほーむ」という山形市のNPO団体を見つけた。娘はそこに通うようになり、“同じ経験をしているお兄ちゃんお姉ちゃんたち”がいる中で、元気を取り戻していった。                     

 自分自身にとっても「ぷらっとほーむ」は居心地のいい場所で、仕事のかたわらスタッフとして活動するようになった。そして2014年、NPOの一つの事業として、不登校や引きこもりの子どもを持つ親の会をスタートした。これが市民活動の第一歩だった。         

 それから1年後の2015年に「ぷらっとほーむ」のスタッフを続けながら親の会を独立させ、任意団体「クローバーの会@やまがた」(以下、クローバーの会)として活動を開始し、代表となった。                

 クローバーの三つ葉は「希望・誠実・愛情」のしるしで、四つ葉のクローバーの残る1枚は「幸福」のシンボルといわれる。クローバーの季節のように、あたたかな雰囲気の中で「幸福」な時間を共有できるようにという思いを「クローバーの会」の名前に込めた。

チャレンジの道のり

 「クローバーの会」を始めた頃、山形には親の会の活動をしている団体がほとんどなかった。当初、定例会に参加するのは数人だったが、2年目ごろから「会のブログを見た」という新しい参加者が増えていった。  

 定例会では1人ずつ近況を話し、参加者同士で自由に意見交換をしてもらった。当事者だけで安心して話せる場で情報交換し、交流することで「自分だけではない」と感じて元気になる。親が笑顔になると子どもが安心して元気になることを自分自身が体験していたので、「まず親御さんを支えよう」と活動に熱が入った。同時に、県内各地に親の会を立ち上げたいという思いも生まれていた。

 その頃、NPOのスタッフとして山形県の若者相談支援拠点事業に携わり、村山地域で不登校や引きこもりの出張相談会を開いていた。各地で相談を受けたが、その後のフォローまで手が回らず、「せっかく相談会でつながった人を、また孤立させてしまうのではないか」というもどかしさがあった。そこで、「各地域に親の会があれば、同じ悩みを持つ親が集まって話ができる」と考え、それからは出張相談会に訪れた地域に親の会を立ち上げる活動にも力を入れるようになった。

月に一度開いている親の会の定例会

 「クローバーの会」は、親の会を中心に次第に活動の幅が広がっていった。たまたま“東京に子ども食堂というものがある”と知り、2016年に活動仲間と2人で、子ども若者食堂をスタートさせた。親子や子ども・若者が集まり、一緒にご飯を作って食べながら交流する場だ。

 また、学びたい意欲のある小・中高生や若者たちのため、伴走型の学習支援をする「みどり教室」や、ひとり親世帯や子育て世帯に食料を無料で配布する「プチ・フードパントリー」も行うようになった。 

 どれも、自分自身が離婚してひとり親になり、大変な状況の中で「こういうのがあったらいい」「これは必要だ」と感じたことから始めた活動で、同じ問題を抱えて困っている人のためにもなると考えた。 それが結果的に、「自分たちに必要なものは自分たちでつくり出し、みんなで活動していく」という「クローバーの会」のポリシーにつながったのだと思う。

ひとり親世帯を中心に食料を支援
する「プチ・パントリー」
子ども若者食堂で一緒に調理

現在の活動内容

 2019年に「ぷらっとほーむ」が解散することになり、そこで運営していたフリースペースがなくなってしまうと、これまで来ていた子どもや若者たちの居場所がなくなってしまい困るということで、「クローバーの会」がその活動を引き継いだ。

 これを機に「ぷらっとほーむ」のスタッフも合流し、フリースペースとあわせて「フリースクールよつば」をスタートした。学校に行きにくさを感じている小中学生の居場所で、活動や学びありきではなく、「ここにいていい」と思えるような土台づくりのために、小さな自己決定を重ねることを大切にしている。子どもたちがつながりあい、支えあう中で、元気になることが目標だ。

 現在は、定員を上回る申し込みがあり、フリースクールを利用したいという子どもがいても断らざるを得ないこともある。将来的には、「ここに行きたい」と希望する子どもたちを全員受け入れられるよう、環境を整えていきたいと考えている。                     

 また「クローバーの会」は設立以来、任意団体として活動してきたが、任意団体のままでは県の委託事業を受けるには制限があった。活動の幅も広がり、スタッフも7人に増えたこともあって、2022年4月に法人化し「特定非営利活動法人クローバーの会@やまがた」となった。法人化したことで県や市の委託事業を獲得しやすくなり、事業規模も大きくなった。これまで仕事と掛け持ちで活動していたが、ようやく専従で活動できるようになった。                

 「クローバーの会」の組織や規模は大きくなったが、現在も親の会の活動が核になっていることに変わりはない。一つの親の会を立ち上げるのには時間がかかるが、現在は全部で11か所になった。各地の親の会とLINEでつながって、活動が継続できるよう後方支援をしている。そして、県内全ての市町村に親の会を立ち上げ、ネットワークでつなぎ、連携して活動していきたいと考えている。たとえば、不登校児の対応について行政に要望があったとしても、1人の声ではなかなか届かない。しかしそんな時でも「1人の力では何も変えられないが、同じ思いを持つ100人が集まったら、それを変えられる可能性がある」と考えたからだ。その連携の第一歩として、今年、鶴岡市・長井市・山形市の3つの親の会が合同で「多様な学びを考えるプロジェクト」を企画した。こうした活動を通して連携を深め、当事者の声を発信していきたい。

フリースペースでトランプをして過ごす
子どもたち
活動について自由に意見を出しあう子ども
ミーティング

今後の目標・メッセージ

 ここは子どもにとって「生きるための居場所」、子どもの命を守るためには親の会の重要性を痛感している。子どもの居場所を確保すると同時に、親御さんもしっかりと支えていく仕組みが大切だ。行政にしかできないこと、NPO法人だからこそできること、それぞれの特性を生かしあって、子どもたちにとってより生きやすい環境をつくっていきたい。

 高い理想はないが、今、目の前にいる人が何か困っていることがあって、自分ができることがあれば一緒にやっていきたいと活動している。それは、どんな活動でもいい。         

 その原点はダウン症の姉の存在だ。子どもの頃から「どういう立場に生まれても安心して暮らせる社会にしたい」という思いがあった。

 自分はたまたま不登校の分野の活動をしているが、不登校の子どもたちが生きづらさを解消していくことが、結果的に障がい者や少数派の人たちが生きやすくなることにつながり、少しでも社会が変わるのではないか。

 団体のミッションにも「主体性の回復に伴走していく」と掲げているが、自分の人生は自分が舵とりをしていく。親が主体性を回復すると、子どももそうした生き方になっていくと思う。

 娘たちの不登校のおかげで価値観が変わり、自分自身も生きやすくなった。「クローバーの会」の活動を通していろいろな人に出会い、さまざまな経験をしている。これからも社会にいい循環を生み出していくため、挑戦していきたい。

(令和5年7月取材)