山形県リトルベビーサークル つばさっ子 代表
松田 愛美さん
チャレンジ分野:

プロフィール

1987年 上山市生まれ。

2015年 結婚を機に天童市へ。出産前まで8年半、児童発達支援センターに勤務。

2019年10月 早産で低出生体重児の長男を出産。

2021年12月 「山形県リトルベビーサークル  つばさっ子」を立ち上げる。

2022年  2月より保育士として天童市内の保育園に勤務。

2022年11月 世界早産児デー(11月17日)に合わせ、低出生体重児を紹介する写真展「小さく生まれた大きな奇跡」を山形市総合福祉センターにて8日間開催。

【リトルベビーとは】
早産などにより小さく生まれた赤ちゃん。
出生体重が2,500グラム未満を「低出生体重児」、1,500グラム未満を「極低出生体重児」、1,000グラム未満を「超低出生体重児」と呼ぶ。
在胎期間(お母さんのお腹の中にいた期間)では、正期産は妊娠37週以上42週未満 (37週0日~41週6日)、早産は妊娠37週未満(36週6日まで)を指す。
現在、日本では赤ちゃんの約9%が低出生体重児、約6%が早産児として生まれている。

チャレンジのきっかけ

 2019年10月に、今年4歳になる息子を出産した。初めての子で、妊娠中の経過は順調だったが、妊娠30週の時に急にお腹の中で動かなくなった。通っていた病院に行くと、危険な状態だということでNICU(新生児集中治療管理室)のある山形県立中央病院に救急搬送された。突然のことで混乱する中、胎児機能不全のため帝王切開となり、1,183グラムの小さな男の子を出産した。予定日は12月末だったので、2か月半も早かった。

 出産後、息子はNICUにいるために様子がわからず、退院してからは心配することばかりで不安しかなかった。リトルベビーについての情報は少なく、小さく生まれた子がこれからどんなふうに成長していくのか、早産の子がかかりやすい病気や症状が起こったらどうしたらいいのか、同じ境遇の人と話す機会もない中1人で悩み、自分を責めてばかりいた。母乳を飲まないなど、普通に生まれた赤ちゃんにもあることでも「私が小さく産んでしまったせいで」と何かにつけて自分を責めた。

 息子が1歳になった頃、子育て中のお母さんと交流できればと思い、子育て支援センターに行ってみた。しかしそこで、同じ10月生まれの子が歩いているのを目の当たりにして「うちの子はまだ、ずり這いしかできない」と、成長の差にショックを受けた。低出生体重児や早産児として生まれた赤ちゃんの発達や成長は、生まれた日ではなく出産予定日から数えた「修正月齢」を基準にする。だから、息子は修正月齢ではまだ9か月半の段階で、成長に差があるのは当然だとわかっていても、つい比較して落ち込んでしまった。周りの人から「何か月ですか?」と聞かれるのも嫌で、リトルベビーについて理解を得るのも難しく、孤立感でいっぱいになり、親子で集まるような場所から足が遠のいた。

 そうした孤独を感じる生活の中、自分と同じ境遇のお母さんとつながりたい一心で、交流サイト(SNS)のインスタグラムで「低出産体重児」や「早産児」と検索してみた。するとそれがきっかけで次第に全国各地のお母さんとつながることができ、「自分だけではない」「同じ経験をしている人がいる」と心強く感じることができた。

長男が生まれたばかりの頃

チャレンジの道のり

 しばらくして、偶然にも山形に住み、同じ病院で早産を経験した人とSNSでつながった。実際に会って話をすると、「何でも早産のせいだと自分を責めてしまう」「その気持ち、わかる、わかる」と共感し合えることばかりだった。同じような経験をしている人と話ができたことで気持ちが本当に軽くなって救われた気がした。この時に、「自分が低出生体重児の息子を産んだばかりで、これからどうなってしまうのだろうと大きな不安を抱えていた時に、このように同じ立場のお母さんと話ができて『その気持ち、わかる』と言ってもらえていたら、どれほど気持ちが軽くなっていただろう」「母乳を飲まない、離乳食を食べないと1人で悩んでいた時に『うちの子もそうだったよ、大丈夫だよ』と言われていたら、どんなに安心できて救われただろう」と思った。そして、これからも自分と同じような思いをするお母さんがいるのだったら、そういう人たちが“つながれる場”をつくりたいと考えた。

 すでに全国各地にリトルベビーの保護者のサークルがあった。自分もSNSで他県のサークルの代表の人たちとつながっていたので、山形にもサークルをつくりたいと思っていてどうしたらよいかを相談すると、さまざまなアドバイスとともに、背中を押してもらった。息子が2歳になり、子育ても少し落ち着いてきた時期でもあったので、県内の同じ状況にあるお母さんと4人で、2021年12月に「山形県リトルベビーサークル つばさっ子」(以下、つばさっ子)を立ち上げた。山形県内でリトルベビーを出産したお母さんや家族、NICU・GCU(新生児回復室)を経験した子どもを持つ親などがつながり、話をしたり相談をしたり、情報交換などができる場だ。

 サークル名を決める時、山形ゆかりの名前にしたいと思った。そこで、電車に興味を示し始めた息子が好きな「山形新幹線つばさ」から名前をもらうことにした。山形と東京をつなぐ新幹線「つばさ」のように、このサークルが他の地域や人との架け橋となってくれるようにという願いと、小さく生まれた赤ちゃんたちが、それぞれの人生に向かって翼を広げ大きく羽ばたいていけるようにという2つの願いを込め、「つばさっ子」という名前に決めた。

「つばさっ子」の活動を紹介するチラシ

現在の活動内容

 「つばさっ子」をスタートした時から定期的に交流会を開催し、現在は3か月に一度のペースでおこなっている。対面交流会のほか、遠方に住んでいる人などもいるため、状況に合わせてオンライン交流会にするなど、できるだけ参加しやすいようにと考えている。参加した人たちは、自分自身がそうだったように「同じ経験をしているお母さんと話せたことで心が軽くなった」と言ってくれる。また、「小さく早く生まれた子がどう成長していくのか不安があったが、他の子の大きくなった姿を見ることができて励みになった 」という声も多い。

 2023年6月には、コロナの規制も緩和されたことから、初めて飲食を伴ったBBQ(バーベキュー)交流会をおこなった。子どもたちも自然の中でのびのびと遊び、家では少食・偏食の子どもが、他の子たちと一緒に同じものをパクパク食べている姿にお母さんが感動する場面もあった。親はもちろん、子どもたちにとっても、リトルベビー同士で交流できる場は貴重だと実感している。

BBQ交流会(2023年6月)

 2022年には、11月17日の「世界早産児デー」に合わせて、写真展「小さく生まれた大きな奇跡」を開催した。小さく生まれた子どもたちの存在を知ってもらい、理解を深めてほしいと企画した写真展だ。生まれたばかりの頃から現在までの写真パネルを並べ、その子が成長していく様子がわかるような展示にした。他にも、500グラム台の体重で生まれた赤ちゃんと同じ重さのぬいぐるみ “ウエイトベア”や小さなオムツなどを展示して、多くの人に関心を持ってもらえるように工夫した。写真展には、「今リトルベビーの子育て中で、これからの成長に希望が持てた」「身近に同じ境遇の人がいるとわかって勇気をもらえた」「自分自身もリトルベビーで生まれたが、3,000グラムの子を産んだ」など、さまざまな感想が寄せられた。

 現在は、山形県での「リトルベビーハンドブック」導入に向けた活動にも力を入れている。「リトルベビーハンドブック」とは、母子手帳と一緒に使用する低出生体重児用の子育て手帳だ。息子を産んで間もない頃はそうした手帳があることを知らなかったが、インスタグラムを通じて全国で導入する県が増えていることを知った。実際に他県の「リトルベビーハンドブック」を読んでみると、成長の過程や個人差を考慮した内容で、自分自身が知りたかった情報が書かれていて、「病室でこの1冊が手元にあったらどんなに心強かったか」と思った。たとえば、一般の母子手帳では発育曲線グラフの目盛りのスタートは、体重は1キログラムから、身長は40センチからなので、それより小さく生まれたリトルベビーの場合は出生時の体重や身長を書けないことがあり、親は悲しくなる。成長の記録も、「〇〇をしますか?」といった質問に「はい」「いいえ」で答える方式なので、「いいえ」が続いてしまうと記入することが苦痛になり、心理的な負担が強くなってしまう。しかし、「リトルベビーハンドブック」は、体重の目盛りのスタートは0からで、記録項目もそれぞれの子どもの成長が日付で記入できるようになっている。また、同じ県に住み同じ経験をした先輩ママ・パパのメッセージもあり、それも大きな励みになる。この「リトルベビーハンドブック」を山形県でも導入してほしいと考え、山形県庁を訪問して担当課の職員に話をするなど地道に活動を続けている。

2022年11月に開催した写真展(中央は、山形県で最初に新生児医療をはじめられた元山形県立中央病院副院長の渡邉眞史先生)

今後の目標・メッセージ

 山形県の「リトルベビーハンドブック」は、最近ようやく導入が決まり、一歩前進した。今後は、当事者として最初の段階から作成に関わり、母親の目線でよりリトルベビーの子育てに寄り添った手帳をつくるお手伝いをしたいと思っている。これからも交流会などを通して、山形のリトルベビーのママ・パパ、子どもたちが“つながる場”をつくり、笑顔で安心して子育てができるようサポートしていきたい。

元気に成長している現在の長男
令和5年9月取材