看護師セラピスト・「PURONOマルシェ」代表
多田 杏子さん

プロフィール

1978年 米沢市生まれ、山形市在住。

独立行政法人国立病院機構仙台医療センター附属仙台看護助産学校を卒業後、看護師として国立療養所米沢病院(現国立病院機構米沢病院)、山形大学医学部附属病院に勤務。

結婚を機に退職。新潟県にある夫の実家に移り、市役所の福祉相談課に勤務。

その後、山形市に戻り介護施設に勤務する。その間に長女と双子の姉妹を出産。

2021年8月 介護施設を退職し、TOTAL  CARE  THERAPY  SALON「HOLO SOINS」(トータルケア セラピーサロン「ホロソワン」)をオープン。

2022年6月 1回目のマルシェ「Nurse(ナース)マルシェ」を開催。2回目以降は「PURONO(プロノ)マルシェ」と名称を変えて、定期的に開催している。

〈保有資格〉
 看護師免許、リンパセラピスト、アロマセラピスト、ハーブセラピスト

チャレンジのきっかけ

 子どもの頃、祖母が大好きで、“おばあちゃん子”だった。祖母は、世話好きで、困っている人がいればすぐに助けてあげる優しい人。看護師になったのは祖母の影響が大きい。若い頃に看護師を目指したが、戦時中だったため諦めたことを祖母から聞かされていたため、自然と看護師の道に進もうと思うようになった。戴帽式の日に一番喜んでくれたのは祖母だった。

 夢を叶えて看護師になり、最初は国立療養所米沢病院に勤務し、その後、大きい病院で経験を積みたいと思い山形大学医学部附属病院に移った。手術を受ける患者さんを担当したり化学療法中の患者さんを受け持ったりするようになったが、患者さん一人一人とゆっくり触れ合いたいと思っても、業務に追われそんな時間はほとんどとれなかった。
 その頃から、今のような仕事ではなく、お年寄りが最後まで住み慣れた家で暮らし続けられるようにサポートする在宅ケアのような仕事のほうが自分には合っているのではないかと思い始めていた。

 結婚を機に大学病院を退職して、夫の実家のある新潟県に移った。市役所の福祉相談課に勤務し、地域の家を回って相談を受ける仕事をする中で、介護の分野に関わるようになった。
 1年ほどして山形に戻り、介護施設で看護師として働き始めた。施設では高齢の入居者さんが何種類もの薬を飲んでいることに違和感をおぼえたが、ここでも忙しい状況は変わらず、お年寄り一人一人に寄り添った理想の看護ができないもどかしさを感じていた。
 そうした中で妊娠し、長女を出産。年子で双子の姉妹が産まれた。幼い子ども3人の子育ては大変で、体と精神のバランスを崩してしまった。精神科に通院し、処方された薬を飲み、少しずつ回復していったが、不調な日が続いていた。
 その頃、たまたま入ったカフェでアロマトリートメントのチラシを見つけ、初めて施術を受けた。優しく肌に触れてもらい、アロマの香りに癒され、施術後にハーブティーをいただくと、ほっと気持ちが緩んだ。しばらくサロンに通ううちに体が楽になり、心もほぐれてきた。医者から処方されていた薬を手放すことができ、ようやく本来の自分を取り戻した。

チャレンジの道のり

  ハーブやアロマ、トリートメントのケアがあったからこそ、ここまで元気になり回復できたということを身をもって体験したことで、患者さんと向き合い、触れることが本当の看護ではないかと考えた。
 ハーブ、アロマ、トリートメントに興味がわいたため勉強を始めると、さらにその思いが強くなり、医療や介護の現場に”触れるケア”を広めるために本格的に学んだ。さらに、看護だけではなく介護の知識も必要だと考えて、仕事と育児の合間をぬってケアマネージャーの資格も取得した。

 最初は、当時勤めていた介護施設や在宅療養している方のお宅を訪問してアロマトリートメントなどのケアをしたいと思っていたが、コロナ禍のため訪問できない状況になった。そこで、ケアができる場所をつくろうと介護施設を退職し、2021年8月に自宅サロンTOTAL  CARE  THERAPY  SALON「HOLO SOINS(ホロソワン)」を開いた。「HOLO SOINS」は「HOLOS・ホロス=生命まるごと・包括的」と「SOINS・ソワン=手当て・看護」の2つを合わせた名前だ。看護の原点である「手で触れ、寄り添うケア」と、全体的な視点で身体と心を整える「ホリスティックケア」を提供し、人間(生命)まるごと看護の力でケアするという思いを込めた。「HOLO SOINS」をオープンした当初のお客さまは、周りのママ友や仕事関係の友人が多かった。

 医療や介護の現場で働いている人たちは、どうしても自分のことより患者さんや利用者さんのために頑張りすぎてしまう。自分自身が調子を崩した経験から、良いケアをするためには、ケアする側が身体も心も健康でなければいけないと実感していたので、ホリスティックケアがいかに大事かを思い知らされた。

手に優しく触れるハンドトリートメント

 コロナ禍も少しずつ落ち着いてきた頃、マルシェに誘われて出店した。何度か出店するうちに、看護師でセラピストの自分のように、看護師の資格を持っているけれど違う分野の仕事をしている人もいるのではないかと思い、軽い気持ちで「看護師が集まるマルシェ」を企画し募集してみた。すると反響があったため、2022年6月に初めて「Nurseマルシェ」を開き、看護師や保健師、助産師たちが、健康や子育て、介護などの相談を受けた。このマルシェが縁で介護職や福祉関係の人たちとつながり、9月におこなった2回目のマルシェは「PURONOマルシェ」と名称を変えて開催した。医療・介護・福祉などの分野で専門資格を持つプロが集まったマルシェだ。当日は、会場に設けた各ブースでプロが相談にのり、小物やお菓子の販売やミニイベントなどもあって多くの来場者でにぎわった。出店者同士のつながりもでき、また輪が広がった。

現在の活動内容

  定期的に「PURONOマルシェ」を開催し、今年(2023年)の6月に4回目を迎えた。助産師さんから話を聞くミニ性教育コーナー、介護保険では補えないサービス(介護保険外サービス)の相談コーナー、“お困りごと”解決のセルフコーチング体験などの無料相談コーナー、東北文教大学の学生さんの協力を得た介護体験や、VRを使った認知症体験のコーナーのほか、さまざまなワークショップなど盛りだくさんだった。

専門職による「PURONO
マルシェ」

 10月には、コラボ企画「みんなでマーケット」に「PURONOマルシェ」も参加して、健康や介護などの相談を受けた。「PURONOマルシェ」は、回を重ねるごとに内容も充実し、それぞれの分野のプロが自分の思いを表現する場、つながりが生まれてさらにお互いが発展していく場になってきていると感じている。

「PURONOマルシェ」も参加した「みんなでマーケット」

 新しい活動として始めたのが「イマココカフェ」だ。月に一度、自分の理想や思いを自由に語り、それをどう実現していくかを語る場として開いている。午前は、医療や介護の現場で頑張っている人や家で家族を介護している人などが、日頃思っていることを気兼ねなく話し合える「PURONOなお茶会」を開催、午後は山形初の”看取り士さん”と一緒に、誰にでも訪れる人生の最期や死生観について楽しくおしゃべりする「カフェ看取り~と」を開催し、ランチタイムをはさんでゆったりとした時間を過ごしている。

 サロンの「HOLO SOINS」では、天然100%の高品質エッセンシャルオイルを用いたオールハンド施術のリンパトリートメントを提供し、来店が難しい方には施設や自宅への訪問施術もおこなっている。また、触れることによって安心感や痛みの軽減などさまざま効果を得られることを伝えるため、看護師ならではのエビデンスに基づいた知識と介護施設での臨床から得られた体験を生かし、アロマやハーブ、トリートメント、セルフケアなどの講座やワークショップを開いている。自分で自分自身をケアすること、家族が優しく触れてトリートメントをしてあげることが一番だと思っていて、地域などで開かれるイベントにも積極的に参加して、ハンドやフットのアロマトリートメントといった”触れるケア”を体験してもらう活動も大切にしている。

蔵王みはらしの丘はらっぱ館(山形市)で
開いた「PURONOマルシェ」
寒河江市で開かれた「健康と福祉フェア」に参加

今後の目標・メッセージ

 「マルシェ×相談」という新しいスタイルで開催している「PURONOマルシェ」は、これからも年3回のペースで開催する予定だ。医療・介護・福祉分野の専門知識を持つプロに気軽に相談できる場なので、自分や家族が元気なうちから、さまざまな支援体制やサービスがあることを知るきっかけになればと考えている。それが最後まで自分らしく生きることにつながると思うからだ。

 また、各分野の仕事について理解を深めてもらい、専門職でも既存の制度にとらわれない働き方があるということ、副業が難しいとされる分野でのライフワークバランスを提案することで、自分たちのような専門職でも自分らしく楽しく仕事が出来るということを知ってもらい、それが将来の担い手の育成につながればとも考えている。
 自宅サロンから「PURONOマルシェ」、「イマココカフェ」、地域のイベントと活動の幅が広がってきたが、これは医療や介護の現場に”触れるケア”を広めるという目標に一歩ずつ近づくための手段ととらえている。

 看護の「看」の文字は “目で見て、手で触れて感じる”という意味を持っているという。直に手を触れ、その人の生き方や心も感じ取ることで、その人がもともと持っている生きる力を引き出し、健やかな人生を過ごせるお手伝いをしたい。将来的には、西洋医学か東洋医学か、行政サービスか民間サービスかなどに関係なく、病気や障がいがあっても諦めることなく、自分の治療や受けるサービスを自ら選択し、自分の人生を自分のままに生きられる社会を仲間とともにつくりたいと未来の青写真を描いている。

(令和5年10月取材)