老舗和菓子店「乃し梅本舗 佐藤屋」八代目
佐藤 慎太郎さん

プロフィール

1979年、山形市生まれ、在住。

1821年(文政4年)創業の和・洋菓子の老舗「乃し梅本舗 佐藤屋」の長男として誕生。

山形東高を卒業し、鳥取大学教育学部に進学。大学を卒業後、京都の老舗和菓子店で5年間、修業する。

2007年に「乃し梅本舗 佐藤屋」(株式会社佐藤松兵衛商店)に入社。

代表取締役社長・佐藤屋八代目の和菓子職人として「和菓子をちょっと自由に」をテーマに、伝統の技や素材を用いながらも、「今」の感覚でつくる新しい和洋菓子を次々と開発している。

2008年に結婚し、2009年に長男、2012年に長女が誕生。

子育て中の父親たちで組織する「やまがたイグメン共和国」の活動にも関わった。

現在は、親子を対象にした和菓子づくり体験教室などを通して子育てを応援。 

山形大学・東北芸術工科大学の特別講師も務めている。

チャレンジのきっかけ

 3人兄弟の長男で、子どもの頃からいつも“老舗の跡継ぎ”と見られていた。それが嫌で、高校を卒業すると鳥取大学に進んだ。できるだけ山形から遠く離れた、「乃し梅本舗 佐藤屋」を知っている人のいない所に行こうと考えたのだ。

 学生時代は陸上競技に熱中し、家業を継ごうとは思っていなかった。大学も4年生になり、卒業後を考えるようになった時、弟たちと将来について話し合った。自分は「教員採用試験を受けてみようか」くらいに考えていただけだったが、弟たちは2人とも、それぞれにリアルな未来を描いていて、自分の夢に向かって着実に進んでいた。その姿を見て、「一番未来が描けていない自分が、店を継ぐしかない」と思った。

 大学を卒業し、修業のため京都の老舗菓子店に入った。そこで、「老舗は同じ菓子をつくり続け、次の代に渡すもの」という概念が変わった。伝統を受け継ぎつつ、新しいものに挑戦できる可能性を見つけた時、「老舗だからこそ挑戦し続けなければならない。ただ店を継ぐのではなく、和菓子づくりを通して新しいことをやろう」と腹が決まった。その思いが、後の創作和菓子につながった。

 当時、大学卒業の間際から付き合い始めた彼女がいた。しかし、修業中は仕事に集中するため女性との交際は禁止で、会うことができなかった。すると彼女は、「それなら、この間に海外を見てくる」と言って、海外協力隊としてアフリカのジンバブエに旅立った。5年間の修業を終えて山形に戻り、日本に帰ってきた彼女と2008年に結婚した。

チャレンジの道のり

 結婚し、子どもが生まれると分かってから、初めての出産に向けて夫婦で一緒に体調や食事に気を遣ったりしていた。よく「父親も育児負担」という言葉を聞いていたが、好きな人と結婚したのだから、子どもが生まれたら夫婦で一緒に育てていくのは当たり前。負担ではなく、自然なことだと思っていたので、育児にも積極的に関わった。だから、特に頑張って子育てをしようと考えたわけではなかった。

 子どもはだんだん体も大きくなっていき、言葉も覚え、できることが増えていく。その成長していく姿を見ているのは少しも飽きることがなく、そこに父親として関われるのはおもしろいと思った。

 自転車が好きなので、息子が0歳の時から自転車で一緒に出かけた。息子をベビーキャリアに乗せて背負い、自転車におむつとミルク・哺乳瓶・ガスボンベを積んで山に行った。娘が生まれてからも同じで、冬には蔵王に連れて行って、一緒にスキーもやった。

 休日には、子どもたちに「今日は3人で何をする?」と聞き、子どもたちがやりたいということを一緒にやった。家庭の中では、父親は子どもと過ごす時間が短く、子どもにとっては母親が一番なので、3人だけになれば父親の存在感が増すと考えたのだ。妻が母親になっても、美容室に行ったり買い物に出かけたり、1人の女性、1人の人間として過ごせる時間をつくってあげたいという思いもあった。

 ある日、娘が「ドーナツをお腹いっぱい食べたい」と言った。お菓子屋なので、家には材料もノウハウもある。それで娘に「自分でつくると安く、たくさんできるぞ」と言って、3人でドーナツを大量につくり、ドーナツだけの夕食にすると大喜びだった。

 子どもが何かをやりたいと言った時、母親はどうしても、お腹を壊さないようにとか、怪我をしないようにといった心配が先にきて、それを止めることが多い。だから息子や娘は、何か極端な遊びをする時は「お父さんと一緒だと何でもやらせてくれて、おもしろい」と思っていたようだ。

 自分にとっても、子どもができて仕事に区切りがつくようになった。朝7時と夜7時は子どもと一緒に食事をする時間と決めた。仕事が忙しい時は朝早くに工場に行き、作業をしてから家に戻って家族の朝食をつくり、一緒に朝ご飯を食べる。夜も7時までには家に帰り、家族みんなで夕食。お風呂に入れて一緒に遊び、子どもたちが寝てから、また工場に戻った。

 こうした子育ては、周りからは「変わっている」と言われることも多かった。妻にとっては、子どもたちと一緒に遊んで型にはまらない夫は、子どもが3人いるようなものだったかもしれないが、お菓子づくりと同じで、家族の生活も子育ても自分たちに合わせて“佐藤家流”に自由にやってきた。

子どもをベビーキャリアに乗せて

現在の活動内容

 子育てのモットーは、「挨拶ができて、日本語が豊かで、火がおこせたら生きていける」で、学校の勉強は教えられないし、社会経験も自分の通ってきた道しか知らないので、それ以上の教育はできないと考えていた。また、昔から子ども扱いをせず、靴をクックというような“赤ちゃん言葉”も使わなかった。子どもたちも成長して息子は中学3年、娘は中学1年になったが、それは今も変わらない。

 自分は店や商売のことを何も知らずに育ったが、息子は実演販売などのイベントに連れていくと、おもしろそうに手伝っていた。そこで、息子と友だちと3人で、イベントで起業体験をさせてみた。将来、息子が店を継ぐにしても継がないにしても、こうした社会経験をさせてあげられるのは、商売をしている自分だからこそだと思っている。

自宅の庭で、火をおこす体験も

 

 

 最近は、子どもや親子を対象にした和菓子づくりの体験教室も増え、和菓子の魅力を広く伝える機会にもなっている。体験教室では、伝統的なものと自由制作のものと2種類の和菓子をつくる。ほとんどの人が和菓子づくりは初めてだが、最初から「無理、難しい」と言う子どもが多いことが気になった。そうした時は、「頭は正直で、無理とか難しいとか口に出して言うと、“やっぱりできなかった”というゴールに向かって走り出す。“よし、できた”という未来に向かっていかない。だから、頭の中で一度、“無理、難しい”というのを消しゴムで消してください」と話す。

 そして、どうやったらできるか、周りの人と一緒に考えて、何とか形にしようとやった結果、うまくいかなくても、それは合格。親も子どもに完璧を求めがちだが、人生で初めて体験することが、何でもうまくいったらおもしろくない。

 自分の子どもの頃を振り返ってみると、何かをやることに対してのハードルが低く、「難しそう、大変そう」と思っても「無理だ、ダメだ」とは考えず、諦めなかった。だから、やり始めたら、とことんまでやった。今の子どもたちにも、うまくいくかどうかの結果は別にして、お菓子づくりを通して“とことん、やってみる”という体験をしてほしいと考えている。

和菓子づくり体験教室

今後の目標・メッセージ

 自分の子どもたちが成長し、体験教室に参加する子どもたちや親御さんとの年齢も離れてきた。今までは親の目線だったが、これからはもっと広い視点で、和菓子づくりを通して“山形の子どもたち”の子育てを応援していきたい。そして、子どもたちが大きくなった時に、「何ておもしろいところで育ったんだろう」と思えるような体験をさせてあげたいと考えている。そのためには、年齢を重ねても自分自身が職人として固まらないこと。固定観念にとらわれず、自分の中に壁をつくらずに、新しいことに挑戦し続けることが大事だと思っている。

 そうした思いを形にしたのが新しい創作和菓子で、「和菓子をちょっと自由に」をテーマに、「佐藤屋八代目の山形の今を伝える和菓子」を開発している。全国の百貨店などで実演販売のイベントに出店し、「器と和菓子」「日本酒と和菓子」「花と和菓子」などコラボイベントも積極的に手がけているところだ。伝統を受け継ぎつつ、時代に合わせて柔軟に変化していく「若い老舗」を目指し、これからも和菓子のおもしろさ、魅力を伝えていきたい。

子どもたちとは全力で遊ぶ
(令和6年7月取材)