プロフィール
1972年 広島県能美島(現・江田島市)生まれ
2003年 天童市高擶にある真宗大谷派龍池山願行寺の跡継ぎと結婚。2016年 夫が住職につくと同時に、坊守(※)としてともに同寺を守っている
2005年 山形県男女共同参画センターが主催する女性の人材育成事業「チェリア塾」に2期生として参加
2020年 山形県立図書館リニューアルオープニングイベントに「チェリア塾ネットワーク村山」として参加し、紙芝居と読み聞かせをおこなう
※坊守/浄土真宗では住職の妻のことを「坊守」と呼ぶ
チャレンジのきっかけ
広島にある浄土真宗のお寺で生まれ育った。地元の大学を卒業後、お寺の手伝いをしていたがわからないことが多く、きちんと勉強しようと思った。仏教や浄土真宗について学ぶため、京都にある全寮制の専門学校、大谷専修学院に入り、僧侶の資格を取得した。その時の同級生と結婚し、天童にやって来た。
天童で暮らすようになったが、お寺に来るのは年配の方が多く、すぐには同年代の友達ができなかった。また電話がかかってきても方言が聞き取れないなど、言葉の壁やそれまでの環境との違いに戸惑い、さらに、雪国の寒さにショックをうけた。
そんな頃、たまたま図書館で「チェリア塾」の2期生募集のチラシを目にした。参加してみようと思い申し込んだものの、どうしようか迷っていた時に、チェリアの担当者が電話で、熱心に声をかけてくれた。思い切って「チェリア塾」に参加すると、県内各地から20人近くが集まり、元気な女性ばかりだった。月に一度だったが、「チェリア塾」では普通に話せて素の自分に戻れ、まるで学校に通っているようで楽しかった。山形のおいしいものや楽しいところなど、家にこもっていたらわからなかったこともたくさん教えてもらった。
「チェリア塾」は、会場となるチェリア以外の場所に出かけて勉強や交流する機会もあり、塾生が願行寺を訪れ、本堂で法話をしたこともあった。その頃はまだ代替わりをしていなかったこともあり、僧侶としての自分をすっかり忘れていたが、みんな真剣に法話に耳を傾けてくれ、仏教にも興味を持ってくれることに驚きを感じた。この「チェリア塾」での2年間がその後の活動の基礎になり、塾生の仲間たちとも緩やかなつながりが続いた。子どもが生まれると、お母さん同士の交流も生まれ、友だちが増えていった。
チャレンジの道のり
真宗大谷派本山の東本願寺では、毎年、「絵本100冊プレゼント」の活動をおこなっている。子どもや女性にもっとお寺を身近に感じてもらい、お寺が交流の場になってほしいという願いのもと、絵本を贈るという活動だ。この企画に応募すると願行寺が贈呈先のお寺の一つに選ばれ、100冊の絵本が届いた。子ども向けの本だが、楽しい物語だけでなく、老いていくお年寄りや家族の死など「生老病死(しょうろうびょうし)」をテーマにした本もあった。さっそくお寺の中に本棚を設けて絵本を並べ、「かやの実文庫」と名付けた。お寺の境内にある大きなかやの木にちなんで付けた。天童に初めて来た時にこのかやの木によく話しかけていて、親しみを感じたからだ。「かやの実文庫」の絵本は、地元の子どもたちに自由に読んでもらい、毎月第3木曜日に読み聞かせをした。また、近所の小学校から絵本を持ってきて読んでほしいと頼まれ、子どもが入学すると読み聞かせのグループにも入った。
2020年2月、山形県立図書館がリニューアルした際、オープニングイベントに「チェリア塾ネットワーク村山」として参加した。チェリアの担当の方から、「特色のある読み聞かせをしてほしい」という要望があったので、自身が僧侶ということもあり、「絵本でふれる生老病死」をテーマにした。「かやの実文庫」の中から、一般的にはあまり触れることが少ないであろう「看取り」「別れ」「認知症」などをテーマにした絵本や紙芝居を選んで、子どもだけでなく大人の人たちにも紹介したいと考えた。当日は、山形出身の児童文学作家・最上一平さんの『じぶんの木』(岩崎書店2009年)、紙芝居『頭をそった猫』(松本良平・松本由美子作2015年)など、6つの作品を読んだ。企画の内容が子どもから高齢者までと幅広い設定になったが、30人を超える参加があり、子どもは子どもの視点で、高齢者は高齢者の視点で、それぞれの物語に込められた思いを受け止めてくれたように思う。
![](https://challenge.yamagata-cheria.org/web/wp-content/uploads/2025/01/03山形県立図書館リニューアルオープンイベントで絵本と紙芝居の読み聞かせR.jpg)
現在の活動内容
天童での生活にもすっかり馴染み、地域の方たちともつながりができて、仲間と「食」や「農」に関わる「高擶ラボ」の活動を始めた。コロナ禍で人が集まる読み聞かせの機会が減ってしまったが、外の畑なら集まっても大丈夫だろうと考えたこともきっかけになった。「高擶ラボ」で主に活動する仲間は5人だが、地域のお年寄りみんながメンバーのような、ゆるやかな集まりだ。ちょうどお寺の駐車場の隣に、長らく物置になっていた古い布団工場の建物があったので、そこを借りて「コウバ」という愛称でメンバーが集う拠点となり、活動が始まっていった。
![](https://challenge.yamagata-cheria.org/web/wp-content/uploads/2025/01/04活動拠点の「コウバ」、通りかがりの方が眺めて行くR.jpg)
結婚したばかりの頃、お寺に来る年配の女性に名前を尋ねると、夫の名前を名乗る人がほとんどだった。「家の代表としてお寺に来ているからなのか」と思いながらも、本人の名前を聞きたいなと、もどかしさを感じていた。それが「高擶ラボ」で会って、名前を聞いて話し始めると、1人の人間、女性としての生活感や思い出をいきいきと語ってくれる。「娘時代、ガラスの割れたかけらを拾ってモンペに縫い付けてキラキラさせておしゃれしていた」「こっそりパーマをかけたら、手拭いがとれて見つかり怒られた」など、話は尽きない。それがおもしろいし、おばあちゃんたちも「話をすると元気になる」と言ってくれる。
「農」の活動は最初、耕作放棄地だった小さな区画を耕すところから始まった。周りの畑の方々が皆、珍しそうに見て、苗や種を分けてくれた。大豆の苗を分けてもらって育て、「実ったら納豆や味噌を作ってみたい」と話すと、「昔は納豆を手作りしていた」とか、「カイコを飼って桑の葉を育てていた」など地域の暮らしと歴史をどんどん話してくれて、農と語りの交流が続いた。家庭菜園とはいえ、見事な野菜を作る地域のおばあちゃんたちは、まさに“畑の師”だった。
ある時、活動拠点にしている「コウバ」の引き出しから、今でいう農作業ズボンの“たっつけ”が出てきた。これを着けて田植えをしてみようと、仲間の田んぼで田植え体験をさせてもらったこともあった。
秋になって柿がいっぱい実ると、近所の方が「柿いらないか」と声をかけてくれ、みんなで干し柿を作ることにした。柿の皮をむき、吊るそうとなった時、仲間の1人が「市販のロープではなく、本物の縄で干したい」と言い出した。さすがにそれは無理だろうと思ったら、近所のおばあちゃんは近くにあった藁をすぐ手に取って、手にペッペッと唾をつけ、あっという間に縄をなって見せてくれた。自分たちも教えてもらって、なんとか作れるようになってからは、“縄ない”のおもしろさにとりつかれてしまった。
またある時は、“畑の師”から大根をたくさんいただき、たくあん漬けの漬け方も教えてもらった。干し柿を作る時にむいた柿の皮を干して一緒に漬けるといいなど、さまざまなコツを伝授してもらう。また、ベテランになると漬物の分量は何グラムとか何キロとか数字で考えない。重石の重さも、どれくらいか尋ねると「はぁ~っていうくらい」と言われる。そうした会話や交流が、何より楽しい。
「高擶ラボ」の活動〈“たっつけ”で田植え・干し柿作り・たくあん漬け〉
こうした活動はほんの一例で、お年寄りはいろいろな生活の知恵や農業の知恵を持っていて、「どうやるの?」と聞くと、すぐに「こうやるんだ」と教えてくれる。地元で育った人には当たり前のことでも、自分のように他所から来た者には新鮮で、興味深くて知りたいことばかりだ。「高擶ラボ」のメンバーは、他県や他の市から結婚などで天童市に移住した人が多い。いわゆる“よそ者”だが、逆に“よそ者”が、地元の人に伝えてあげられることもあった。
仲間の1人が土づくりにはまり、都市部でも流行っている方法で、米ぬかと納豆をつかって発熱・発酵させてたい肥を作り、それに家庭で出る生ごみをまぜるという栄養満点の土づくりをマスターした。それを近隣の畑のおばあちゃんたちに実演して見せると、みんなびっくり。おもしろがって実践してくれて、「花がきれいに咲いた」「おかげでおいしい野菜ができた」など、またコミュニケーションが生まれている。
今年は「コウバ」で、『藁から暮らしを見つめる展』と題して、俵やわらじなど藁を使った昔の道具を展示したり、藁でほうきや鍋敷きを作るワークショップも開いた。この建物には電気もガスも水道もないが、何もかもが便利になっている現代のせわしない時間から離れて、ゆっくり過ごすことができる貴重な場所だと思う。通りがかりの人が、「何してるんだ?」と気軽に声をかけられる、そうしたことが大事なのではないだろうか。「コウバ」に飾ってほしいと、古いものや、手作り作品、折々の枝花を持ってきてくれる人も少なくない。季節を感じる小さな街角のショーウィンドウのようにもなっている。
今後の目標・メッセージ
誰でも年をとっていくが、地域で元気に、いきいきと自分ができる活動をしながら老いて亡くなっていくということを大事にしたい。年齢を重ねるごとに頭も体も変化していき、できないことも増えてくるが、「できないからダメ」ではなく、楽しくできることをゆっくりやりながら、最後まで“その人らしく”いられる場所、たとえば認知症になっても、地域で一緒に暮らしていけるような年のとり方を探していけたらと思っている。
「高擶ラボ」はホームページもなく、活動の宣伝もあまりしていないし、何かをやろうという時は、人のつながりで声をかけて集まるような小規模なものである。それでも、頼まれれば、子どもたちに藁をつかったモノづくりなどの出前講座も少しずつ引き受けている。これからも顔の見える関係、ゆるいつながりの中で、ゆっくり自分たちらしく活動していきたい。
![](https://challenge.yamagata-cheria.org/web/wp-content/uploads/2025/01/12世界の民話の本を「コウバ」に展示R.jpg)
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