プロフィール
平成21(2009)年3月、夫である聡さんの強い希望で山形県酒田市飛島へ移住。島で初めてとなる介護事業所「和楽」を立ち上げ、家族ぐるみで利用者と向き合っている。特別養護老人ホームでの勤務、ホームヘルパー、デイサービス職員など多様な介護業務経験を持ち、介護福祉士を経て、飛島に移住する前年(平成20年)にはケアマネージャーの資格を取得。
とびしま未来協議会 移住定住アドバイザーとして、飛島の魅力発信にも力を注ぐ、2男1女の母でもある。
チャレンジのきっかけ
「始めたのは、全部主人なんです。自分はそれに寄り添っているだけ」 もともと釣り好きだった夫の聡さんが、飛島への船の中で飛島の介護事情を知り、役に立ちたいと思ったことで移住を決意。当時、飛島での介護サービスは、本土の事業所よりホームヘルパーがその都度やって来て対応していたため、利用しづらい状況にあった。さらに人々が「島で暮らしたい」という希望があっても、要介護状態となれば本土の施設に頼らざるを得ない現状だった。
この時、わかさんは、介護事業所立ち上げの手続きや子どもたちの小学校再開への手続きなど、忙しく動くご主人を横目に、「ほんとは行きたくない。」と思っていたそう。「でも、子どもたちの学校も決まってしまったので、行かないと言えない状況になってしまったんです。」と笑う。
だが、介護職経験の長いわかさんも、日々の仕事にジレンマを抱えていた。「今まで、デイサービスの仕事をしていても、一日のやることが決まっていて、流れ作業で進んで行く。ゆっくり話したい方がいても、なかなか時間がとれないのです。飛島では、小人数の方々に、ほんとうに向き合って寄り添って、家族みたいなケアができるのかなと思いました。」
移住者の受け入れに慣れていない島民は、 I ターンである渋谷さん一家が来ることに、当初は良い顔をしてはくれなかった。だが「介護サービスを提供したい。」と言った時に、島民から、初めて「来てくれ」という声があがったのだ。
実際にサービスを開始して、「おめだぢみたいな、若っげなが来るのをずっと待ってだんだ。(あなたたちのような若い人がくるのを、ずっと待っていたんだ。)」と島民に言ってもらった。また、学校が再開されたのがとてもうれしいと言われ、喜んでいる聡さんの姿を見て、介護の仕事に携わってきた経験を生かして、“飛島の為に何かお役に立ちたい”と腹が据わった。
チャレンジの道のり
まず、合同会社 和楽は、訪問介護事業所の認可を取得。合わせて、もともとあった飛島総合センター(酒田市役所の出先機関)で行っていた酒田市特例事業(デイサービス・ショートステイ)の委託を受けて、島での介護事業開始に向けての準備を始めた。
「移住してすぐに全戸に挨拶周りに行った中で、最初のショートステイの依頼がありました。初めてサービスを利用される方からの依頼で、とてもうれしかったのを覚えています。その後、デイサービスもスタートしました。たった一人でのサービス開始でしたが、利用して下さった方が、『こんなサービスだったよ。面白かった。』と、他の方にも勧めてくれました。そのおかげで、少しずつ利用して下さる方が増えて、現在では14名の方に利用して頂いています。『ありがとう』という言葉にすごく元気をもらっています。」
また、渋谷さんご夫妻には、お子さんが3 人いて、一家が移住したことで11 年ぶりに飛島の小学校が再開された。少人数制の複式学級で再開された飛島小学校で、先生にも恵まれた。「先生であり、友達であり、さまざまな役割を担っていただき、とても感謝しています。」
また、「子育てをするのに、飛島の環境はすごく良い。」と語るわかさん。飛島には、ゆったりとした特別な“とびしま時間”が流れている。ものはないかもしれないが、そこにあるもので遊びを考える自主性が育まれたと感じているそう。また、家族の距離が近くて、じっくり子どもに向き合って子育てができたという。このすばらしい環境を活かして、教育の面でも何かできないか模索中である。
現在の活動内容
・介護サービス事業
現在、合同会社 和楽は、渋谷さん夫妻と、ケアスタッフ1名、給食1名の計4名で運営している。メインである介護サービスの提供は、ショートステイを随時、デイサービスを主に火曜金曜に受けている。基本的には、年中無休。 ユニークな点として、デイサービスやショートステイで行う健康運動やレクリエーションの代わりに、利用者さんたちが、今まで仕事としてやってきた「魚の下処理」や「畑作業」なども取り入れている。「要介護認定を受けていても、認知症でも、それらの作業は体が覚えていて、その上手な手さばきは素晴らしいですし、イキイキとした表情を見ることが出来るのです。」
・おばあちゃんたちの加工所(飛島再生加工所)事業
平成24年度から、飛島にある食材を使い、加工する事業をスタートした合同会社和楽。きっかけは、流通させたとしても単価が安く、日持ちもしないことから、日々大量に廃棄されていた黒ホッケだった。そして、飛島には、介護認定を受けても、なお、まだまだ仕事が出来るおばあちゃんたちがいる。日ごろから、飛島にあるもので、島のお金が回る仕組みが出来ないかと考えていたわかさんたちは、ホッケとおばあちゃんたちを繋ぎ、島の中で流通させる事業を展開出来ないかと考えるようになった。
近くの使われていない加工所を利用して始めた事業では、平成24年度はホッケを原料にしつみれを加工、平成25年度には、ホッケの確保が不十分だったため、廃棄されるだけだった茎わかめや、保存食のフキやシカドリを塩蔵加工した。加工された食材は、酒田市が行っている小学生対象の「飛島いきいき体験スクール」などで島の食として提供されている。「塩蔵物は飛島の家庭でみんなが作っている食材。塩がいいのか、食材がいいのか、本当においしい。みんなに食べてもらいたい。」
まだまだ課題も多く、安定した事業とはなっていないが、作業をするおばあちゃん達(要介護認定者が中心)に、少しだが報酬を支払うことが出来ている。真剣ながらも、おしゃべりをしながら楽しんで作業をする姿を見ると、これこそが生きがいになっているように感じる。介護認定を受けた方でも働ける場所を作っていくことが、これからの介護での新しい形になればと思い活動を続ける。
島民ならではのニーズとして、車のない方の移動手段の提供、定期船が運んできた荷物の運搬などがある。送迎は、ボランティアケア輸送として、荷物の運搬は、軽度生活支援事業として、市から受託し、対応している。
平成27年度、県と、とびしま未来協議会(*1)が共同で主催した、山形県、飛島の暮らしと仕事ショート・ミドルステイ体験事業「SHIMA-TURN」に受け入れ側のスタッフとして参加し、飛島の魅力を積極的に伝えている。
今後の目標・メッセージ
当り前のサービスを当り前に受けて、当り前に生活する。この当り前のことの実現が、なかなか難しいのが現状だ。
「当初の目標は『一日でも長く島で暮らせるためのお手伝いがしたい』との想いでの起業でしたが、利用者さんとふれあい、自分が島民となり島の事情がわかっていくにつれ、『看取りまでの環境が必要』と強く感じています。しかし、医師の不在が大きなネックになって、色々な事情で実現していません。どうしようもない無力感が募ります。島と本土の往来が困難な現状では、島の方たちは、要介護3などになると、『医者がいないと不安だ。周りみんなに迷惑かけてしまう』となり、せっかく顔なじみになった方々でも、早々に本土の老人ホームに入所されてしまう。私たちが来た頃と、何も変わっていないのです。」
行政が、飛島に力を入れているというのは非常に感じている。ただ、若者支援・移住促進に力を入れるとともに、ベースである島民の生活にもう少し目を向けてほしいという思いがある。
「住んでいる人たちが安心して暮らせる、もっと輝ける地域でないと、新しい人たちが来ても住みたいと思ってもらえないと思っています。飛島には隣近所が互いに支えあって、島じゅうが親戚同士のような人と人とのつながり、絆があります。そして、人、自然、昔からの知恵、島がゆえの豊かさが、ここにはあるのです。80歳を超えても現役でイキイキと働く姿に、逆にパワーを頂く日々です。今は、高齢化を支えるマンパワーが必要な時。若い力、外部からの力がプラスされ、島の未来が明るく描けるためのお手伝いを今後も続けていくことが、私たちの目標です。」