プロフィール
2011年 8月 復興ボランティア支援センターやまがた 開設
2011年 8月 「山形ボラバス推進コンソーシアム」事業 事務局スタッフとして従事
2011年 11月 復興ボランティア支援センターやまがた 事務局スタッフとして従事
2014年 4月 「311ボラMeeting」(任意団体)設立
チャレンジのきっかけ
東日本大震災における山形県内での支援活動をサポートする「復興ボランティア支援センターやまがた」で、事務局スタッフとして従事する多田曜子さん。現在の事務局スタッフの中で唯一人、2011年7月の開設当初から継続して勤務している。また、勤務の傍らで、被災地や支援団体へのサポートをおこなうボランティア活動もしてきた。
多田さんが東日本大震災の支援活動に触れた最初の出来事は、山形市の施設「まなび館」が一時的に避難所になった時だ。
「ちょうど前職を辞めて暇ができたので、旅行に行き、3月10日に帰りました。翌日、荷物を片付けていた時に地震が起こりました。それからは家族の車にガソリンを詰めるため長蛇の列に並んだり、Twitteで情報を集めたりと、家のことを中心に過ごしていました。」
数日たったある日、『山形市まなび館』に避難してきた方がたくさんいると聞き、何かできることはないかと訪れた。そこで炊き出しの手伝いをしたのが、一番初めの活動だった。しかし、『まなび館』にいた人達はすぐに落合スポーツセンターに開設された避難所へ移動し、そこでは一度だけの活動だった。
多田さんは、インターネットやメディアを通じて被災地の情報を見るうちに、「被災地に行って何かしたい」という想いが強くなっていった。2ヶ月ほど経った頃、ボランティアバスが走っていることを知った多田さんは、「もう私ができることはないのではないか」と思いつつもその活動に参加した。直接被災地へ足を踏み入れ、復興には程遠い光景を見た時は、まだまだ支援の手が足りないと実感したという。
その後は、民間で運営するボランティアバスに参加したり、知人と声を掛け合って現地の支援団体を訪れて活動を手伝ったりと、被災地へと通う日々が続いた。
「土日はボランティアバスに乗り、平日は自家用車で宮城県石巻市に行き、現地の支援団体に合流してお手伝いをするという毎日でした。今思えば、自由に動くことができたのは、家族が応援してくれていたからです。」
チャレンジの道のり
知人から「ボランティアバスを企画運行する仕事がある」と紹介されたのが、「復興ボランティア支援センターやまがた」(以後「支援センター」という)との出会いだった。当初は3ヶ月間という短期事業だったが、支援センターに拠点を置き、ボランティアバスを運行する仕事に従事した。
「今までボランティアバスを利用する立場だったのが、ボランティアバスを管理、企画する側になり、やればやるほどニーズが見えてきました。今まで個人ボランティアとして被災地に入り、企画には細心の配慮が必要なことや現地の事情をよく理解する必要があることなどを知っていたので、それがそのまま事業に役立ちました。仕事を始めてからも、休日は現地にボランティアとして参加していたので、それが現地調査のような役割をしていたと思います。」
ボランティアバスの運行事業が終了すると、多田さんは支援センターの職員として引き続き勤務することとなった。支援センターの仕事は、東日本大震災に関わる支援活動の情報提供や、ボランティア・支援団体の相談受け付けのほか、交流促進や情報交換の場の提供など、中間支援的な役割を担うもの。行政職員や社会福祉協議会などの団体、個人ボランティアまでさまざまな立場の人と関わる仕事だ。
「直接被災者の方と関わるのではなく、間接的に関わるという中間支援の仕事になり、最初は全体が見えずに苦労しました。でも、普段は接点がない、さまざまな立場の人と出会うことで、行政や福祉機関がどのように地域の中で住民のために活動してくれているのかなど、今まで知らなかったことが見えてきました。」
震災から3年が過ぎた頃、震災支援に興味があるという知人とともに「311 ボラ Meeting」という任意団体をたちあげた。
「その頃、今まで活発だった震災支援活動が少しずつ停滞し始めたように感じていました。それと同時に、まだまだ被災地の現状を知らない方がたくさんいて、本当のことが多くの人に届いていないとも感じました。私の知っていること、これまで培ったノウハウを他の人に伝えることができればと思い、友人2人とともに活動を始めました。」
山形県の補助金に申請し、採択されると、津波被害に遭った沿岸部の人や自主避難した人などの当事者を招いてお話を聞いたり、支援活動をしている人を招いて活動ノウハウを共有したりと、ボランティアに興味がある人と当事者・従事者をつなぐイベントを開催した。
2016年3月に開催した「311ミーティング2016~5年目の記憶~」には、約40名の参加者が集い、震災から5年を迎えた先にどう向き合っていけば良いのかなどを語り合った。10代から60代まで、年齢も立場もさまざまな人が集まったという。
現在の活動内容
今後の目標・メッセージ
支援センターは、補助金で運営している施設のため、何年先まで運営されるか確証がない。避難生活をおくる人たちを取り巻く環境は年々厳しくなっており、平成29年3月末で借上げ住宅の制度が終了することから、避難者数はさらに減少することが予想されている。
「支援センターが続いても続かなくても、私個人として、この先もずっと見つめていきたいという思いがあります。震災では、いろいろなものが壊れました。物だけでなく、社会、価値観などもそうです。それが再構築されていく中で、成功も失敗もあったと思います。今まで支援センターの職員として関わる中で、人の強さや弱さ、正しさ、過ちなど、いろいろな出来事から多くのことを学びました。
避難や被災を経験してきた方々は、最初は『震災のせい』、『原発のせい』と言っていても、時が経つと自ら意思決定をして、自分の道を作っていくんです。そういった姿を見ながら、私自身が励まされる事もたくさんありました。これからもそういう方々の後押しができたら、と思っています。」
多くの命や生活を奪った東日本大震災。被災地の隣県というポジションから、中間支援組織として、またある時は個人ボランティアとして関わってきた多田さん。さまざまな角度から被災された人、避難された人、支援している人と触れ合ってきたからこそ、双方の立場に立った偏らないサポートが可能なのかもしれない。
「震災と言う一つの出来事から、本当にたくさんの事を学ばせてもらいました。『被災者』や『支援者』、『組織』、『ボランティア』、色んな立場の違いはあるように見えても、結局は一人の人として、どう関わり合えるかに尽きると思います。ボランティアや支援をする中で関わった方々、被災地で出会った方や避難者の方、家族や友人、本当に色々な方に支えられて、励まされて、これまで活動して来ることができました。これまで頂いたご縁や経験を、これからも役立てられたらいいな、と思っています。」