マタギ 小国町役場職員
蛯原 紘子さん
チャレンジ分野:

プロフィール

1984年熊本県生まれ
日本画を学ぶために東北芸術工科大学に入学。在学中に恩師との出会いからマタギの暮らしに興味を持ち、小国町の北 部にある五味沢地区に通うようになる。卒業後は小国町に移住。小国町役場に勤める傍ら、マタギとして活動している。

資格・許可・わな免許
・第一種銃猟免許
・猟銃所持許可
・アマチュア無線4級

チャレンジのきっかけ

 「マタギ」とは、主に東北地方で古い方法を用いて集団で狩猟を行う人たちのこと。その歴史は平安時代まで遡る。鉄砲を生業とし、独特の宗教観や命に対する尊敬の念を抱きながら熊やウサギなどを狩猟している。慣習として女性は立ち入ることのできない職業とされていた。そんなマタギの世界に飛び込んだ蛯原さん。

 小さい頃から動物が好きで大学で専攻した日本画でも動物の絵ばかり描いていた。野生の本来の動物の姿を描きたいと思っていた時に、マタギの集住について研究している田口洋美先生と出会う。この出会いが大きなターニングポイントとなる。野生の動物の話に聞き入る蛯原さんを「そんなに興味があるなら」と、田口先生は他の学生とともに、マタギ郷として有名な小国町五味沢地区に連れて行ってくれた。そのことがきっかけとなり、マタギの世界に足を踏み入れることになる。
 「私自身、母親が手作りした料理を食べて育ってきたので、それが普通のことだと思っていました。でも、嫁いでみて、それぞれの家庭で食生活が違うことに気づいたんです。

チャレンジの道のり

 本来、女性が入ってはいけないとされてきたマタギの領域。女性が山に入ると「獲物を仕留められない」「山での災害に巻き込まれる」という言い伝えや厳しい慣習があった。蛯原さんはすぐに猟についていくことは許されず、最初は登山道のところから眺めることから始まり、次の時は少し山のほうへ進み、また次の時はもう少し山のほうへ…と、徐々にマタギだけの領域に足を踏み入れていった。
 こうして三年が経った頃、山親方(山の采配をとる長)を中心に話し合いが持たれ、蛯原さんは小国町猟友会五味沢班の仲間に迎え入れられた。「小国町の猟友会には8つの班があります。五味沢班の当時の山親方は“社会が変化していく中で、マタギの世界も変わるべきところは変わっていかなければならない”という考えを持っていました。また、本来は“よそ者”に厳しいマタギの世界ですが、私が関わり始めた頃にはすでに他の土地から来て仲間に入っている人たちがいたことも、入れてもらえた理由だと思います。」と、蛯原さん。

現在の活動内容

 小国町役場に勤める傍ら、12月~5月は月に2回ほどマタギとして山に登る蛯原さん。
本番は4月上旬~5月上旬の熊猟。危険な雪渓の上を歩きながら、遠くの熊を一瞬にして見つける力が必要とされる。「マタギの人たちは個人で、また集団で経験してきて得た知識量が図り切れません。“この山だったらここに熊が出やすい”とか、細かいレベルで山の状態を知っています。私自身は鉄砲を持って6年が経ち、以前は黒いものを見るとすべて熊に見えていたんですけど、ようやく違いを見分けられるようになりました。」と蛯原さん。
 猟は熊を追う人たち、仕留める人たち、それを指揮する人というようにそれぞれに役割があり、呼吸を合わせて集団で行う。危険が伴うため、チームワークが重要だ。「班のみんなで持てる力をすべて使って獲る感じが好きです。強い信頼関係と高度な技術がないと熊は獲れません。その分仲間意識も強いので居心地が良くて。」蛯原さんの言葉から、マタギとして充実した日々を送っている様子が伝わってくる。

 猟に出かける日は朝8時に山小屋に集り、夕方5時頃まで山に入っている。自身だけでなく、料理の得意な仲間たちが講師となり、普段の生活の中で使える料理のヒントを教えている。“手前味噌作り”や郷土料理を食べやすくアレンジした“一口笹巻き”等が好評だ。また、料理だけでなく体操したり、アクセサリー作りを楽しんだりと心身ともに健康で美しくなれるようなメニューを企画している。昨年、交流の場となるコミュニティーサロンも開設、ますます活動の場を広げている。

熊山に入る際は必ず山ノ神に手を合わせ、
猟の安全と熊が獲れることを祈る
日によっては20kmもの距離を歩くことも
山の状態を確認しながら進む
ブナの幹に残る熊の爪痕

 

熊の足跡がくっきり
広大な山の中で動物を見つけるのは難しい

 

 熊を仕留めたら山の中で皮を剥ぎ、儀礼を行う。熊を山の方角に向けて置き、剥がした皮を熊の身体に三度付ける。こうした山ノ神に感謝する儀式が随所で行われる。畏敬の念を持って山と命と向き合う神聖な世界の中で、蛯原さんはいきいきと活動している。
 「女性には結構ハードルが高く、女性だからという甘えは許されない世界です。とは言っても、皆さんに気を使ってもらうことも多々あって、本当はそれじゃいけないんですけど。過酷だし、滑って落ちたら死ぬようなところも歩かなければならない。生半可な気持ちではできません。危険な道を、熊を背負って歩いて帰ってこなければならないので体力的にも厳しいです。楽して生活することを覚えてしまうと難しい世界だと思います。」

今後の目標・メッセージ

 「春が近くなると、じっとしていられなくなります(笑)。恐怖感よりは、森の息吹を感じながら動物が生きている姿をみるのが楽しい。大学の時にマタギの世界を知り、通うようになってから10年になりますが、これからも五味沢の人たちに教えてもらいながら、マタギの心や山との付き合い方をきちんと継いでいきたいと思っています。」

(平成29年2月取材)