日本生命保険相互会社山形支社 長井営業部長
那須 喜美子さん
チャレンジ分野:

プロフィール

飯豊町生まれ

1977年 山形交通入社

1984年 小林豊子きもの学院着付け講師となる

1987年 日本生命保険相互会社山形支社入社

1993年 拠点管理職となり、現在は長井営業部長として勤務  
 

受賞歴

優秀拠点表彰を複数回受賞  
      

資格       

きもの着付け教授(分校長)     

古流現代花教授(会頭) 

チャレンジのきっかけ

 これまでの那須さんの人生には要所要所にターニングポイントとなる出来事があると感じる。現在の仕事に就くまでにバスガイド、着物講師の経歴を持つ。共通しているのは「人と接することが好き」「止める理由がない限り、何事も継続する」という思いだ。現在の会社に入社することになったのは30年前のこと。「子どもが小さく、日中できる仕事を探していたところ、たまたま家に保険の営業職員さんが来たんです。話題は就職のことになり、一度見学に行くことになり…それが日本生命でした。」入社後すぐに企業担当部署に配属され、3年目にして新人社員を育てるトレーナーに抜擢される。日本生命保険相互会社が女性管理職を増やそうと着手を始めた頃、入社6年目で営業管理職に。その後、子どもを残しての単身赴任は考えられず、自宅から通勤可能な範囲内で異動。現在は長井営業部の部長として社員をけん引している。

チャレンジの道のり

 幼少の時からおとなしい性格だった那須さんは自分を変えたいという思いから、高校卒業後バスガイドになる。「でも、職業柄、朝5時に出社しなければならないこともしばしばで、仕事の大変さから“辞めたい”と思っていたところに一通の手紙が届いたんです。」上司から手渡されたその手紙には『新人ながらも一生懸命がんばっている姿にとても感激しました。子ども達にとって一生の想い出ができました』と書いてあった。「それは、ある小学校の修学旅行に同行したときの校長先生からの手紙だったんです。読んだ瞬間、辞めようと思っている自分が情けなくなってしまって。“一生の思い出を作る尊い仕事をしている”と気づかされ、バスガイドを続けることにしたんです。」と当時を懐かしむ那須さん。

 バスガイドにはシーズンオフの時期があり、その合間に華道、料理、着付けを習い、特に着付けは講師の免許を取るまでに。その技術を生かし7年間勤務したバス会社を辞め、25歳の時に着付け講師として着物学院に転職。着付けを指導するだけでなく、生徒募集、着付け免許取得、教材販売、着物の販売とトータルで着物と関わり、わずか2~3年で東北でも上位の成績をあげる。当時は村山、置賜地域を中心に教室を開き、生徒数も40人を超えていた。その間、結婚、出産を経験するが着付け教室はどうしても夜の仕事になる。資格があればいつでも復帰できるという思いもあり収束、現在の会社に就職した。

 「三児の母となり、仕事の責任が重くなるにつれ、過密なスケジュールをこなす日々。夫や両親の支えがなければ続けることはできなかった。感謝、感謝です。『子どもが不憫だ』と自分を責める気持ちとの闘いでもありました。」と話す。那須さんが配属になったのは企業相手の部署。通常、入社してから2年間はトレーナーについて研修をして3年目から独り立ちをする体制だったが、3年目でトレーナーとして新人の育成に関わることになる。

 「微かな期待を持って入社した社員が大きな希望を持って仕事に向き合えるように育てていくことが楽しくて仕方ありませんでした。」と話す通り、成果は数字となって表れる。それが社内で評価され、営業管理職に昇進。「管理職の話をもらったとき、受けないで後悔するよりは受けることで得るものがあるのではと思いました。“違う風景が見られる”ことに、ワクワクして(笑)」新しい世界に一人ポンと置かれたときに自分はどうするんだろう…そんな冒険心もがあったという。当時、日本生命保険相互会社では女性の営業管理職は全体の1割にも満たない程度。道なき道を踏みしめながら一歩ずつ足跡を残していった那須さん。

現在の活動内容

 今、保険会社における女性管理職は急増し、各所で経営手腕を発揮している。那須さん自身は拠点長になってから7か所目、現在は長井営業部長として23人の社員の先頭に立ちながら、経営および後進の指導にあたっている。ちなみに、長井営業部は本年度社内表彰(タイプ別)で全国1位の成績をあげている。

部下からの相談にも親身になって
長井営業部の皆さんと
休日は着物を着ることも
長時間があれば花を楽しむ那須さん

今後の目標・メッセージ

 「一生チャレンジャーでありたいから、60歳からの自分に何ができるか模索しています。」これまでの仕事の中で培ってきた人脈と築いてきたネットワークを財産に、あらたな展開を楽しみにしている那須さん。「考えてみればずっと人と繋がる仕事をしてきました。人に救われ、人に教えられ、人生見捨てたものじゃないなと感動することばかり。これからも女性として、人生のチャレンジャーとして輝いて生きていきたいと思います。」そう話す那須さんは、着付けも華道も続けている。「止める理由がないから続けている。私の不得意なのは止めること。」と笑う。

 最後にメッセージをお願いすると「チャレンジはどんなことでもいいと思います。今の仕事が天職と思って働くと先が開けてきます。誰もがこの世で唯一の存在。同じ人は他にいません。女性も遠慮なく、自己の能力を開花させ、存在感を高めていきたいものですね。」とエールを送ってくれた。

(平成29年1月取材)