プロフィール
山形市生まれ。父は山形市出身の若柳秀宝(直派若柳流理事長を務めた)
平成2年 父の他界を機に大手証券会社を退職、日本舞踊の世界へ
2代目 若柳秀宝(姉)と共に家業に従事する
平成13年 「お稽古塾みやび」を主宰する
平成20年5月 山形花笠伝承会「たから連」発足
直派若柳流師範
山形市芸術文化協会員
英国チャイルドマインダー資格取得者(保育)
チャレンジのきっかけ
「父親が日本舞踊を生業にしていたので幼い頃から踊りは習っていました。でも、父の跡を継ぐのは姉だと思っていたので、将来、踊りを仕事にするとは思ってもいませんでした。
私はステージに立つよりも、どちらかというと裏方の仕事が好きでしたし。」と話す、宝さん。舞台の袖で見ている立場だった宝さんが、本格的に日本舞踊に取り組もうと思ったのは20歳過ぎてからのこと。「24歳の時、父の発表会に出演して、その時の踊りを父に褒めてもらったことが忘れられません。それからまもなく父が亡くなりました。」
しばらく、姉である若柳秀宝さんのサポートをしていたが、その後独立。父と姉と同じ道を進むことになる。
チャレンジの道のり
「父は、直派若柳流の理事長まで務めた人。地元山形はもちろん、東京、京都、九州など各地を回り、多くの門下生に指導していました。私は、父が築いたものを継いだわけではなく、精神を引き継ぎ、新たに教室を開きました。」当時を振り返る宝さん。
直派若柳流は古典舞踊の流派。古典舞踊というのは常盤津、長唄、清元などが基本となる、歌舞伎舞踊を母体とした日本の伝統的な踊り。父の若柳秀宝さんは古典舞踊を守りつつも、歌謡曲などの現代の曲に合わせて振り付け、「新舞踊」の世界の楽しさを広めた。
「父には、振り付け能力もさることながら、人をワクワクさせる魅力があったんですね。私も、踊りを通して楽しんでもらうということを常に心がけています。」父親の存在が大き過ぎて、始めの頃は常に“父を乗り越えなければ”と、自分に負荷をかけ過ぎていたこともあったという。「父と比較されているんだろうなあという意識が邪魔をして、自分らしく動けない時代がありました。」
しかし、父の“山”に登ろうとせず、自分ができることをコツコツやり、自分の“山”を築いていこうと考えられるようになってからは気持ちがラクになり、自分らしく活動できるように。「自分が無理している時って、一緒にいる人も窮屈に感じると思うんですよ。私は、悩みにぶつかると、今の状態からどう抜け出したらいいのか、進んでみたり戻ったりしながら、自分で結論を出してしまうタイプ(笑)。年齢を重ねながら、これはできる、できないものはできないと素直に言えるようになったこともラクになれた理由ですね。」と宝さんは笑う。
現在の活動内容
父の思いを継ぎ、多くの人に気軽に日本舞踊を親しんでもらえるよう、『お稽古塾みやび』を立ち上げた宝さん。自宅の稽古場の他、村山地域を中心に、子どもから80代の方まで幅広く指導している。日本舞踊を通して、着付けや日本舞踊での礼儀作法も生徒たちに伝えている。「いろんな場所で日本舞踊を観ていただきたいので、お声がけいただいたところに伺っています。」
また、平成20年には山形花笠伝承会「たから連」を発足。『祭りはふるさとの宝 仲間はかけがえのない宝』をスローガンにふるさとの花笠の普及継承に努めている。
「毎年、稽古場の生徒たちと花笠まつりに出ていたんですが、生徒でない人からも“花笠まつりに出たい”という声が多くなり、あらたに『たから連』を立ち上げました。正調花笠を父が振り付けさせていただいたというご縁もある山形花笠まつりを大切にしていきたいですね。」毎年、『たから連』では花笠まつり本番の3か月前から踊り手を募集する。
『お稽古塾みやび』『たから連』では年に一度、福祉施設への慰問活動も行っている。日本舞踊と花笠踊りのコラボが、入所者の方たちから大変喜ばれているそう。
今後の目標・メッセージ
『日本の伝統を未来に繋いでいきたい』という思いで指導している宝さん。「若い世代に日本の芸事を学んで吸収してほしいけど、ダンスを習う子が多くなってきて。着物を着るのは大変そう、日本舞踊はお金がかかりそうといったマイナスのイメージもあるかもしれませんが、自国の文化を体験し、楽しさを知ってもらえるよう伝えていきたいです。」
課題も多いが伝統文化を守り続けていこうという宝さんの思いは強い。
チャレンジしたい人へのメッセージを伺うと「高村光太郎の道程の冒頭の言葉『僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る』が好きです。やりたいことがあって行動に移したとしても、すぐに結果が出るわけではありません。自分が何をしたくて、何を大切にしているのかという根本的な思いを忘れず、周りの人の話を聞き、求められたことに対してはできる限りの誠意をもって挑戦していけば、自然と道は出来てくると思います。」とエールをくれた。