プロフィール
横浜市生まれ。東京女学館短期大学を卒業後、(株)日本旅行に入社。
富士ゼロックス(株)に転職し、同じ部署の男性と出会い結婚。
1年後に長女、その3年後に次女を出産。
次女が小学校に上がると、近所にあったスカッシュ専門施設でスカッシュを始める。
数年後にインストラクターとして仕事を始め、大会にも出場。
日本スカッシュ協会の手伝いで、毎年、全日本スカッシュ選手権のスタッフとして働く。
2018年10月、夫の実家がある飯豊町に移住。
2018年11月、地域情報サイト「まいぷれ長井・西置賜」を立ち上げる。
2021年6月、コロナによって1年遅れで開催された東京オリンピックの聖火ランナーとして、米沢市で炎をつなぐ。
チャレンジのきっかけ
横浜で生まれ育ち、結婚後も一家で横浜に住んでいた。10年前、夫の故郷の飯豊町で暮らす義母が大病を患い、同じ頃に娘たちが結婚して夫婦二人暮らしになったことをきっかけに、将来のことを考えるようになった。
義母が病気になった時、高齢の両親をどうするかが問題になった。当時、夫は50代前半で、定年退職までには10年近くあり、横浜に持ち家のマンションもあったので、両親を横浜に呼んで一緒に暮らすことを考えていたようだった。しかし、ずっと田舎で暮らしてきた両親を、80歳過ぎてから都会に連れて来るのはかわいそうだと思った。近所に知り合いもいないし、方言が気になって話もできず、引きこもりの生活になってしまうかもしれないという心配もあった。一方、自分たちは毎年夏と冬には娘たちを連れて飯豊町に帰っていたし、地域の人たちとも顔見知りだった。それなら、まだ50代になったばかりの自分たちのほうが新しい土地で、新しい生活を始める力があるのではないかと思い、飯豊町へ移住することを考えてみないかと夫に提案した。
夫も、朝早く仕事に出かけ、夜遅く疲れて帰ってくる毎日の繰り返しで、これでいいのだろうかという思いがあったようだった。そして飯豊町に移住すると決め、夫は会社を早期退職し、自分もパートの仕事を辞めて、2018年10月に移り住んだ。
チャレンジの道のり
夫は、以前と同じような仕事ができる地元のIT企業に就職したが、「せっかく飯豊町に戻って来たのだから、何か地域のためになることをやりたい」と会社を辞め、地域情報サイト『まいぷれ長井・西置賜』を立ち上げた。飯豊町を含む西置賜地域のお店や企業、イベントなどの情報や地域の魅力を発信するウェブサイトで、一緒に編集リーダーとして取り組むことになった。編集や取材は全く経験したことがなかったが、お店や会社に話を聞きに行くと、必ず最初に「どうして飯豊に来たの?」と驚かれ、それがきっかけで話が弾んだ。他所から来たからこそ感じる魅力を紹介していきたいと思っている。
移住してから、より地域とつながりたいと「NPO法人みらいいで」のメンバーになった。「飯豊町を元気にしたい」「活気ある町にしたい」「住んでいる人たちが誇りに思える町にしたい」、そんな思いを抱いたメンバーが集まってできたグループだ。
この「みらいいで」の仲間と一緒にマルシェを開催したり、イベントのお手伝いをしたり、さまざまな活動をしている。コロナ禍の時には、飯豊町から都会の方に芋煮の材料をセットにして送り、zoomで芋煮の作り方をレクチャーした後、画面越しに皆さんと一緒に芋煮を食べるイベントを企画して、とても好評だった。
また、飯豊町を盛り上げようとがんばっている若者たちのグループ「いいで未来カフェ」のお手伝いもするようになった。「いいで未来カフェ」が毎月実施している町内のゴミ拾いに夫婦で参加したり、イベントの裏方を手伝ったりして、若い人たちとも交流する機会が増えた。
2021年には、東京オリンピックの聖火ランナーとして米沢市を走った。聖火リレーで使われる、桜のモチーフでピンクゴールドのトーチをニュースで初めて見た時、「実際に見てみたい。手に取ってみたい。できるなら購入したい」と思った。しかし、購入できるのはトーチを持って走ったランナーのみだった。それならスポーツは得意だし走ればいいと、聖火ランナーを募集しているスポンサー企業の中から『地域をよりよくするために現在挑戦していること、今後挑戦していきたいこと』が募集テーマの企業を選んだ。横浜から飯豊町に移住し、夫と一緒に地元の情報を発信するウェブサイトを立ち上げたことなどを文章にまとめて応募すると選ばれ、聖火ランナーとして炎をつなぐことができた。
さらにうれしいことに、自分が走った時に持ったトーチをスポンサー企業からプレゼントされ、念願の聖火のトーチを手にすることができた。飯豊町在住で聖火ランナーになったのは自分だけだったので、保育園や小学校で子どもたちにトーチを持ってもらう活動もおこない、とても喜んでもらった。



現在の活動内容
飯豊町を拠点に、山形ならではの絶景を満喫できて、ここでしか体験できないアクティビティを提供している「YAMAGATA EXPERIENCE(ヤマガタ エクスペリエンス)」の活動に、スタッフとして参加するようになった。白川湖の水没林でのカヌーツアー、熱気球フライト体験など、さまざまなアウトドア体験のお手伝いをしながら、自分たちも山形の自然と季節の恵みを体感し、地域の魅力を発信している。


「飯豊町をクリスマスの街にするプロジェクト」もスタートした。昨年12月、山形市に出かけた時に山形駅西の広場でクリスマスマーケットが開かれている光景を偶然目にした。その瞬間、「雪の降る飯豊町でクリスマスマーケットをやりたい」とひらめいた。
もともとクリスマスが大好きで、横浜に住んでいた頃は、12月に入るとマンションのベランダをイルミネーションで飾り、トイレには一年中クリスマスグッズを並べていた。
横浜赤レンガ倉庫で開かれるクリスマスマーケットも身近で、どんな雰囲気かも知っていたので、クリスマスマーケットを飯豊町でやってみたいという思いが湧いたのは自然の流れだったように思う。大きな規模のものはできないが、こぢんまりと楽しむマーケットはできるかもしれないと考えた。
さっそく、その思いを「みらいいで」や「いいで未来カフェ」のメンバーや周りの人たちに話すと、快くスタッフとして協力してくれることになり、開催が決まった。今年12月6日、飯豊町中部地区まちづくりセンター周辺で『X’masマーケット in いいで』を開く予定で、今、その準備を進めている。手芸が好きなので、スタッフ用のおそろいのクリスマスカラーのマフラーを編んだり、近所の女性たちとクリスマス雑貨を作ったりといった準備も楽しい。
また今年は、「菅笠後継者育成特別講座」にも参加している。飯豊町の中津川地区では昔から冬の農閑期の仕事として菅笠作りが行われており、山形の花笠まつりに使用される花笠の大部分は中津川地区で生産されてきた。しかし、作れる方が減り、生産数も減少して、花笠まつりで使われる花笠作りを海外へ頼まなければ成り立たないという事態を知り、同じ飯豊町に住んでいる人間として、これは何とかしなければと講座に参加した。実際にやってみると菅笠作りは想像以上に難しく、大変な作業だが、5回の講座で何とか習得したいとがんばっている。

今後の目標・メッセージ
今年初めて企画した『X’masマーケット in いいで』を成功させて、大勢の人に楽しんでもらいたい。実行委員長を務めているが、何年か経ったら次の世代の人にバトンタッチして、これからも細く長く飯豊町のイベントとして続けていけるようにしたいと考えている。雪はマイナスのイメージがあるが、雪国の飯豊町はホワイトクリスマスにぴったりなので、「クリスマスの街・飯豊」として全国に知られるようになるのが夢だ。
移住してから7年になり、聖火ランナーにしても、クリスマスマーケットにしても、自分がやりたいと思ったことを実現できるのは、飯豊町に移住してきたからこそだと思っている。横浜にいたままだったら毎日変化のない生活だっただろうし、新しいことを始めようと思うことはなかったと思う。「こういうことをやりたい」と声をあげれば、「手伝うよ」といろいろな人が力を貸してくれることが本当にありがたい。
移住する際、家を建て替えたが、義父は4年前に亡くなり、義母は認知症が進んで今年の2月から施設にお世話になっている。両親のために整えた部屋が今、空いているので、何か活用できないかと考えているところだ。まだ具体的にはなっていないが、近くに小学校があるので、子どもたちが学校帰りに集まって宿題をしたり遊んだりする場所や、近所の人や子育て中の皆さんが集えるサロンなど、地域とかかわる場、地域の役に立つ場にしたい。
雪が降る冬、雪が解けて田んぼに水が張られカエルの大合唱が始まる春、夏はかなり暑くなり、稲穂が頭を垂れて秋がやってくる。そんな四季を感じられる飯豊町に移住してきて本当に良かった。横浜にいた頃は夫婦別々の仕事で、会話も少なかったが、今は仕事も休日も一日中一緒で、それでも会話は尽きず、毎日が楽しい。自然と人に恵まれたこの環境を大切にして、これからもさまざまなことにチャレンジしていきたいと思っている。



